魂の輪郭
私はもう本当に心理や精神の話をしたくないし、自分の生き方について振り返ったり向き合ったりしたくない。そういう方向性が脳に起こるとたまらない不安に襲われる。せっかく小説世界に集中できても、自分の身に起きたことを振り返ったとたん泣き出して眠れなくなる。やっと没頭でき始めたいま何かのきっかけでそこへ引き戻されると、これは幻のような気がしてくる。なぜか、あらゆることに対し今は感情が薄くなっているからだ。以前と違い強く何かを感じることがない。自分が薄くなっている。何事に対してもぼんやりとしか感じられない。
このサイトを再構築して形になってから自己保存が一旦完了したので、だからかな。もう終わりでいい、と感じられる。小説の中の人物たちも、今はもう自分とは違う場所にいる人間だと感じるし、ほとんど感情移入ができないので前みたいに気持ちが揺り動かなくなった。だから、手離せないとはいえ繋がりはとても弱い。今後彼らとどう折り合いをつけていくか課題もある。
ココナラで以前気に入ってた感想サービスの方に依頼して、一緒に物語に向き合ってもらうようになってから精神がいっそう安定した。だけどこのサイトを見て(特に日記ブログを見て)自分の辿った道を思い出す度、本当はもう以前と同じ状態には戻れていないんだろうと感じられて不安に襲われる。あまりに必死で作った。なんだかんだ言ってここにも恐怖が染み付いている。だからこのサイトはもう終わりにしていいような気がしている。『水那田ねこ』の発信すべてを終わりにすべきかな。
この名前を変えられなかったのは大切な物語と繋がる名前だったから。noteで知られるようになった名前なので変えたくて苦しんだけど、同時に半身を表す名前でもあったからどうしても変えられなかった。でも『ニセアカシアの庭で』を完結させてからやっともう捨てられる気になってきた。名前は魂の輪郭。生き方の静かな告白。水那田ねこという魂をやっと葬る日がきたのかもしれない。
どんなに「考え方」で整理しても「思考」で結論できても、私の脳の深奥には実存的うつがありいつ何時でも浮かび上がり命の苦悩を死ぬほど感じとってしまう。そのような脳内構造そのものが変化したわけではない。これは感受性の問題なので思考や意思で変革することはできない。けれど一瞬でも多く逃れていなければ生きていけない。生きていくために、どうするか。今後必要なのは「考え方」じゃない。「感覚」を強めてくれるもの。そのために最適なのが小説を書くという行為なのだと今は思っている。だから物語世界の中へ中へと私を誘ってくれるもの、世界の中にいる感覚を強めてくれるものに触れて、関わって、やっていかねばならない。そこから思いをそらせる、生き方や脳の仕組みやそんなことに注意をひき戻される環境を避けていこうと思う。
怖くて避けていたno+eで新たに小説書きさんたちに読んでもらえそうな文章を書いていけたら良い刺激になるのかもしれない。名前を変えたアカウントで。それで功を奏すのかわからないけど、今はそれしか考えられない。
ほんとうにもう自分の生き方とか、心理分析や精神が関わる話に注意が戻ってしまう環境を変えなければ。「上質な世界」とは今度こそ真剣に手を切らねば。
滝ノ入ローズガーデン、5月
まだ頭の中にひび割れた脳みその感覚が強くあった頃、隙を見て旦那に山の麓の小さな薔薇園に連れて行ってもらった。昔育てていたイングリッシュローズたちがちらほらいたので、静かな場所で対話をしてきた。






薔薇を観たころ、まだ苦しかったな。闇の中細やかな光に触れたような日だった。
自作パズル
『ニセアカシアの庭で』に登場するクロスワードを自分の手で作成してみた。盤面とカギ文を画像にする際、すぐるが使った紺色インクや古い手紙の風合いまで再現してみた。これは四十年以上前にパズル好き青年が手描きで作ったパズルという設定。小説の謎と進行して実際に解いて楽しめるようになっている。(小説本文の中に画像を掲載済み。)
ちゃんとできてるかな。誰か解いてみてほしいな。おかしなところがあれば教えてほしいな。
こういうものをアップして小説を感じてもらったり、物語に関連した会話ができたりする場所を、これから探しにいかないと。心理や精神に向き合う上質世界から完全離脱できないものか。



