星降る夜の秘密

2023年11月25日
星降る夜の秘密
〜リリィーと不思議な記憶を持つ羊〜

 星空が美しい小さな町がありました。リリィーは愛猫のモルフと一緒に、町の隅にある牧場に住んでいます。お父さんは気のいい優しい人ですが、毎日とても忙しく過ごしており、なかなかリリィーの相手をしてくれません。お母さんは体がとても弱く、一年前に病気で亡くなりました。リリィーはとても悲しみました。

 友達もいないリリィーはモルフと遊んだり、牧場の動物と一緒に過ごしたりするのが大好きです。そして何より、お母さんが残してくれた日記を読むのが毎日の楽しみでした。それはとても分厚い、硬い表紙の日記でした。お母さんは牧場にお嫁に来てからとても幸せだった、と話してくれたことがあります。けれども、体の弱いお母さんがこの忙しい牧場で、いったいどうやって楽しい日々を過ごしたのか、リリィーは今でもよくわかりません。日記を読むことは、それを知るただひとつの手段でした。たくさんの字が書き込まれており、読むのはとても大変です。ですが、日記に触れているとお母さんがまだそばにいるような気がして、ページをめくるたびリリィーは温かい気持ちになるのでした。

 リリィーは、いつも一ページを読み終える前に眠り込んでしまいます。お母さんのことをもっと知りたいのに、分厚い日記をなかなか読み終えることができません。これまで読めたページはわずか数ページ。しかも、不思議なことがたくさん書かれてあるので、言葉の意味を考えることに夢中になってしまい、なかなか先へ進めないのです。特に、呪文の言葉を見つけたときは心が踊りました。ですから、リリィーはいつも同じページばかり見てしまうのでした。

 呪文の言葉は、お母さんが動物たちと会話するために使っていたものらしく、聞いたこともないものでした。一年のうちでもっとも多く星が降る夜があるといいます。その日に、牧場の動物たちに向かって『星の光よ、言葉の力を授けて』というと、面白いことが起こるのだそうです。いったいどんなことが起こるのでしょう。いつも夜空には星が光っていますが、それほどたくさんの星が降る日があるのでしょうか。その日をどうやって見つけるのでしょう。毎日きちんと夜空を見上げていれば、その日だと分かるのでしょうか。そんなことを色々考えているうちに、今日もまた、リリィーは日記を抱えたまま眠り込んでしまうのでした。

 ある日、牧場の夜空にはいつもより美しく星たちが輝いていました。空はびろうどのような深い紺色で、星のきらめきはいっそう増していました。これほどきれいな夜を見たことがなかったリリィーは胸が躍り、モルフと一緒に夜の牧場を散歩しました。歩きながら陽気に歌まで歌ってしまいます。一方、牧場の動物たちは眠っているようでした。豚も、あひるも、山羊も、みんな夢の中。けれどおかしなことに、羊の群れだけが何やらそわそわしています。

 ふと、リリィーは空を見上げました。するとどうでしょう。まばゆいばかりの星たちが光の雨を降らせ始めたではありませんか。次から次へと、白く輝く星が、空の高いところから落ちてきます。それは斜めにすーっと流れたり、まるでリリィーの頭上にまっすぐ落ちてきたりするのです。あまりに見事な光り輝く星たちのショーに、リリィーは息を飲みました。

「すごいわね、モルフ。これはぜんぶ流れ星よ。あなたにも見える?」

 モルフは「にゃーん」と鳴いて目を細めました。

 ふと、リリィーは日記に書かれていたことを思い出しました。お母さんは、星がたくさん降る美しい夜に、羊たちと会話をしたことがある、と書いていました。ひと晩中、羊たちとおしゃべりをして楽しい時間を過ごした、と。そこには話をした羊の名前まで書かれていました。ベス、ジャック、ルーシーの名前を覚えています。それを読んだときリリィーは、どの羊が彼らなのか知りたく思いましたが、羊と言葉を交わせないため、名前を知ることはできずにいました。

 モルフが、そわそわしている羊たちの前でリリィーに向かい、「にゃーん」ともう一度鳴きました。まるで、『さあ、リリィー。あの呪文の言葉を言って』と言っているようにリリィーは思いました。おそるおそる、リリィーは羊たちの群れに向かってその言葉を言ってみました。

「星の光よ、言葉の力を授けて……!」

 すると、夜空の星たちがきらきら瞬いて、羊たちの上に白い光を降らせ始めたのです。羊たちはひととき大きな明るい光に包まれ、「メェーー!!」と強い声で鳴きました。それはとても大きな叫びでした。やがて眩しい光が消えると、羊たちは一斉にリリィーのほうを向きました。彼らの目には、とても真剣な光が宿っていたため、リリィーはどきりとしました。

「どうしたの?」

 群れに向かって言葉を投げると、一匹の羊が前に進み出て、こう言ました。

「リリィー。星が一段と輝く夜に呪文の言葉を言ってくれてありがとう。今夜だけ、わたしたちはあなたとお話ができるから、どうぞみんなの悩みを聞いてください」

 リリィーは、羊が人間の言葉を話したことに驚きました。でも、その羊が言いました。

「わたしはジャック。一番年長の羊です。よろしく、リリィー」

 リリィーははっとしました。それは知りたかった羊の名前の一つです。リリィーがうなずくと、羊たちは一匹ずつリリィーの前に出て、自己紹介を始めました。ていねいに名前を告げたあと、それぞれが抱えている悩みを話し始めるのでした。悩みはどれも小さくかわいいものでした。例えば、牧場の草の味が去年より少し不味い、お昼寝をしていると蝶々に邪魔をされて困っている、など。リリィーは思わずクスッと笑いました。そして、羊たちの話にたくみに言葉を返して、それぞれの気持ちを宥めてあげました。ルーシーという少しやんちゃなお嬢さん羊が、「わたしは柵の向こうへ飛び出してみたい」と言って小さく跳ねました。「まあ、あなたがルーシーなのね。柵を越えたら駄目よ。怖い狼に襲われたら大変だもの」リリィーが答えると、ルーシーは「そう、わかったわ」と少し寂しげにうなずきました。もうすっかり、リリィーは羊たちと楽しくおしゃべりをしていたのでした。

 そんなときです。のそのそと、一匹の羊がリリィーに近づいてきました。強くカールしたクリーム色の巻き毛、長い耳、ひときわ大きな黒い瞳を持っています。羊は真剣な目つきでリリィーを見ました。

「わたしはベスと言います。この日を待ちわびていました」

 リリィーはどきりとしましたが、羊の話に耳を傾けます。ベスは、群れの中でも一段と賢そうに見えました。そのうえ、悩みは他のどんな羊のものとも違っていたのです。なんとベスは、わたしは人間だった、と語り始めました。

「リリィー。わたしは、本当はあなたのお母さんの妹、ベスなの。あなたと話せる日をどれほど待っていたことでしょう。さあ、どうぞわたしを人間の姿に戻してちょうだい」

 ベスは目を輝かせました。リリィーは戸惑い、少し後ずさりました。まさか、そんなことあるわけがありません。お母さんに妹がいたなんて聞いたこともありません。たしかに、羊の言葉を聞くという不思議なことが今目の前で起こっています。けれどもこの一匹の羊が本当は自分と同じ人間だなどと、にわかに信じられませんでした。

「ベス。わたしには、あなたが言うことが本当だと、とても思えないわ」リリィーは素直に言いました。するとベスは「こっちへ来て」と、リリィーを納屋の奥まで案内しました。ついていくと、うずたかく積み上げたわらの後ろへ周り込んだベスが、そこから小さな木箱を取り出してきて、リリィーの前に置きました。

「なあに、これ」

「この中に、わたしが人間であった証拠が入っています」

 手を伸ばして、リリィーはその箱を開けました。すると中に、葉書ほどの大きさをした紙が入っていました。見るとそれは、若い女性を描いた一枚の絵のようです。誰かがさらさらとスケッチした、鮮やかな色の、そしてとても温もりを感じる筆使いの肖像画でした。ふと、右下の隅にあるサインに気づいたリリィーは、目を見開きました。

「お母さんの名前が書いてある」

 驚きいるリリィーに、ベスが言います。

「これはあなたのお母さんが描いてくれたわたしの絵です。わたしはあなたのお母さんと小さな頃からずっと一緒でした。色んな遊びをしました。庭にある大きな木の下で人形遊びをするのも大好きでした。なかでも二人で夜の丘に登り、街を見下ろしながらたくさんお話をした日のことは特別な思い出です。わたしはあの日から、羊として生きているのです」

 本当にこの絵の女性が、目の前の羊だというのでしょうか。リリィーは信じられませんでしたが、ベスに答えました。

「わかったわ、ベス。あなたの絵を描いた日のことがお母さんの日記に書かれているはずだから、それを探してみる。見つかったら、あなたを人間に戻せる方法がわかるかもしれない。だから、待っていてね」

 ベスはこれを聞いてたいへん喜び、目に涙を浮かべました。そして気持ちを噛みしめるように目をつむり、「ありがとう」と言いました。

 次の日です。不思議な力はもうどこかへ消えて、羊たちはいつもの動物らしい様子に戻っていました。ベスも放牧場でいつもどおり、ゆっくりと草を食んでいます。リリィーはその日から、夜ベッドの上で日記のページをめくり続けました。けれども、お母さんが妹と一緒に丘に登った日のこと、そこで絵を描いた日の日記はなかなか見つかりません。やがてリリィーは、やっぱりベスが人間だとは思えない、と感じるようになりました。そしてついに、日記を探すのをやめてしまいました。

 そんなある日のことです。牧場でたいへんな騒ぎが起こりました。狼が現れたのです。羊たちはうろたえて逃げまどい、一斉に鳴きだしました。リリィーは恐怖の気持ちでいっぱいになりました。それでもすぐに、羊たちに助けが必要であることに気づきます。しかしどうすることもできません。お父さんは町の市場へ出掛けていっていませんでしたし、助けを呼びにいく時間があるようにも思えませんでした。困り果てていたそのときです。ベスがとった行動に、リリィーの目は釘付けになりました。

 すみやかに群れの前に立ったベスは、「しずかに、落ち着いて」と言わんばかりに群れに向かって鳴きました。その声を聞くと、羊たちはみるみるうちにひと塊りになります。さらにべスが、メェーメェーと何かを群れに語りかけると、羊たちはまるで納得したかのように、折目正しく行動を始めました。まず、群れは二手に分かれました。そこへ、ベスの声を合図に、一方の群れが動き出します。群れは狼を自分たちのほうへとおびき寄せてから、勢いよく逃げていきます。その間に、もう一方の群れが、安全な場所へと逃げてしまいました。そしておびき寄せた群れも、やがてたくみに狼から逃げ切りました。最後に、すべての羊が牧場の安全な囲いの中に無事に集まることができました。羊たちの手際のよい動きに面食らった狼は、とうとう諦めて、牧場を去っていきました。羊たちは、みんなベスに向かって、私たちを導いてくれてありがとう、と鳴いているようでした。

 リリィーはベスの賢さと勇気に胸がいっぱいになりました。ベスがただの羊だとは思えない。リリィーはそう言って、モルフと顔を見合わせました。その日から、ベスは本当に人間だったのではないかと、リリィーは真剣に考えるようになりました。

「お母さんの日記を読まなきゃ」

 決意をしたリリィーは、ふたたび分厚い日記を手に取りました。ベスの真実を見つけ出すために、毎晩、日記のページを一つひとつ丁寧にめくっていきました。

 ある日の晩、モルフがいたずらをして、日記が床に落ちてしまいました。そのとき偶然開いたページに、リリィーは目をみはりました。女の人の絵が描かれています。それは、ベスが見せてくれた絵と同じものでした。日記には、こんな絵を描いてベスに渡した、と絵の脇に言葉が添えられていました。ようやく、リリィーはその日のページに辿り着けたのです。そこには、お母さんがベスと過ごした一日のことがたいへん詳しく書かれていました。

 何年も前、それは初夏の暖かな夜でした。お母さんは、偶然発した言葉で羊たちと会話ができるようになったのです。お母さんはその中の一匹の賢い羊と仲良くなり、牧場の裏にある高い丘の上へ登るという冒険をしました。そして二人で、星空の下でたくさんのおしゃべりをしたのです。……何もかも、ベスから聞いたとおりのことが日記に書かれてありました。

「ベスの話は、本当だったんだわ」

 けれどもリリィーは、読んでいるうちにあることに気づきました。お母さんはその羊に、子供の頃から欲しくてたまらなかった想像上の妹の話をしたというのです。丘の上で、目の前の羊に、お母さんはこう言いました。

「あなたに秘密を教えるわ。とても大事な秘密よ。あなたは、本当はわたしの妹なの。名前はベス。今は羊に姿を変えられているけれど、小さな頃はわたしと庭の木の下で一緒にお人形遊びをしたのよ。わたしが十歳の誕生日に、幼いあなたと一緒にこの丘に登ったことがあるの。そのときもまっかなポピーの花がたくさん咲いていたことを覚えているかしら? わたしたちはいつも一緒だった。あなたがいつか人間に戻ることができたなら、またわたしと一緒にこの丘に登りましょう。約束として、わたしはあなたの絵を描くわ。ほら、これがわたしのかわいい妹のベスよ。あなたの、本当の姿なの」

 ページには、そう語ってからベスの絵を描いたことが、ありありと綴られていました。お母さんは、空想に浸って話をするのが大好きだったようです。

 リリィーは思いました。きっとこのお母さんの話を聞いて、ベスは、これを本当の話だと勘違いしてしまったんだわ。そして約束として描かれたあの絵を大事にしていたんだわ。お母さんは一匹の羊を、姿を変えてしまった妹だと思い込むことで、元気に動き回れない寂しさをまぎらわせていたんだわ、と。

 ベスが人間であることを信じかけていたリリィーは、大きなため息をついてページを閉じました。

 その日の真夜中、リリィーは羊たちが眠る小屋へ行きました。ベスの気持ちを考えるとつらくなりましたが、正直に話すことにしました。

 日記に書かれていた話をリリィーから聞いたベスは、しばらくの間悲しそうな目をして、リリィーを見つめました。今は言葉が話せません。とてもがっかりしたようで、じっと眺めたあとに力なくうなだれました。

「ごめんね、ベス」

 ベスは「メェー」とひと声鳴いてから、のろのろと群れの中へ戻っていきました。その寂しそうな後ろ姿を見て、リリィーはふと思いつきます。

「そうだわ、ベス。今度またあなたと話ができる日がきたら、一緒にあの丘へ登りましょう」振り向いたベスの目が、小さくまたたきしたのをリリィーは見ました。

 それから一年経った日。星が一段と輝く夜がふたたび巡ってきました。リリィーはあの呪文の言葉を使って、羊たちとおしゃべりをしました。そしてモルフと一緒に、ベスを連れて丘へ登りました。ジャックとルーシーもついてきました。一人と四匹は、高い丘の上まで来ると、わあ、と声を上げました。星が輝く明るい夜空の下、まっかなポピーの花がいちめんに咲いています。

「ねえ、ベス。あなたは人間ではなかったけれど、あなたのおかげでわたしはお母さんの日記をたくさん読めたの。お母さんがなぜ体が弱くても楽しい毎日を過ごせていたのか、知ることができた。色んな空想遊びをしたり、動物たちに名前をつけて時間を過ごしていたのよ。その中でもベスと一緒におしゃべりしたことが一番楽しかったと書いてあったわ。ベス、ありがとう」

 リリィーが微笑みかけると、ベスは言いました。

「わたし、人間には戻れなかったけれど、こうやってリリィーがおしゃべりしてくれるから大丈夫。これからも星が輝く夜はここに来て、わたしと一緒にあなたのお母さんの話をしてちょうだい」

 ルーシーはベスに、「思っていたのとは違っていたけれど、悩みが解決してよかったね」と笑いかけました。ジャックもなごやかに、「人間にはなれなくても、わたしたちは大事な仲間だよ」と言いました。

「ねえ、来年もまたみんなでここへ来ましょう」

 リリィーが笑うと、羊たちは「そうしましょう」と言って、嬉しそうに足踏みをしました。モルフだけが、「にゃーん」と動物の声で答えました。

 丘の上には優しい夜風が吹いて、丘いちめんのポピーの花がゆっくりと揺れていました。家に戻ったリリィーは、その日とても幸せな気持ちで眠りについたのでした。