あはれないきもの

あはれないきもの

世の中には、幸せを求めて生きる人がいる。自分にとっての幸せとは何かを無意識に考えている。自分や家族が幸せに生きるためにはどうすればよいか、それが脳みその核にある最大の関心事。一方で、善を求めて生きようとする人がいる。人間として生まれた自分にとって善とは何かを無意識で衝動的に探している。自分の幸せを超えたところにある命の使命。これが脳みその深奥部にある強烈な関心事。

世の中のほとんどは前者である。誰かのために、あなた方の幸せのために、みんなのために、より利他的に、より献身的に、より善い生き方のために、自分よりも他者のために。きれいな言葉で身を飾る人たちも無自覚に前者である。後者の善に照らせば、悲しいかな、非人道的な人間も美辞麗句で身を固める理想主義者も心優しき繊細な人間もすべてが同じ部類の人になってしまうのだ。恐ろしい。なんて残酷な構図だろう。けれどもこれを真理と知ることが善への入り口だもの。

自分の幸せを求めて生きている人。彼らは口を揃えて言う。自分の幸せを求めて何が悪い。自分が幸せになり、家族や周りの者を幸せにすることが人としての務めだろうと。それ以外の善を思うことすらしない。思っても魅力を感じない。賢い人は概念のお遊戯をしている。思考の戯れだ。歴史を通じて行われてきた。社会の教育もそれだ。彼らは頭がそれを扱い過ぎて、まるで獲得したかの妄想に囚われる。そうやって人間は決して自己の幸せを手放さない。実存の問題も、正しさや誤り、良いか悪いかの話に落とし込み、自己と自己に得をさせる者たちの幸せを無自覚に保護してしまう。

果たして、我が求めるものは『さいわい』か、『ほんとうのさいわい』か。幸せばかり求め、幸せばかり語る人間の虚しさよ。人の世はまことに哀しい。あわれきわまりない。

善を求める稀な人は無私への道を段階を経て進む。それは言わば、捨て身の道である。自分の命を差し出すところまで到達する。その過程に恐怖はつきもの。恐怖を癒す前には癒すべき恐怖が在るだろう。そこには想像を絶する痛みが存在している。笑顔で語れる痛みなんかではない。笑いながら能弁を垂れられる激しさや苦労なんかじゃない。正気の沙汰じゃない。尋常じゃない。なのになぜ恐ろしい道をいくのか?  本物の人間になろうとするゆえだ。自律性を持つ強烈な力が意識を引っ張り上げるからだ。痛みをどこまでも受け入れ捨て身に生きられる人は、抗し難い力の炎を心の根底で燃やしている。長年かけて種火を育て、ついに己のすべてを燃焼させる巨大な力と化してそれは燃え上がる。
観念や概念を捉えようとする思考や、操作可能な意思なんかよりそれは強く大きく、どうすることもできやしない。恐ろしい痛みはどこまでも追いかけてくる。たやすく逃れられない。

たいていこの痛みを察知した者は知らずのうちに前者に戻っていく。この道を進んでいるとの妄想をもって。偽りの達成感と自負や誇りすらもって。痛みに踏みとどまる数少ない者は、自我を消滅させ果ては生を失うことまで感知している。命の実存的哀しみを感受し、文字通りの死と対峙する。それは年齢や経験から知る実存恐怖とは別に発生するものだ。自分を消すことは恐ろしい。一部の者はあまりの恐怖に耐えきれず内面が分裂し狂い死ぬだろう。意図的に前者に戻ろうとする者もいるだろう。

表し難いこの動力に抗えず進みゆく者は、実に稀というほかない。捨て身の道を行く人の心の成り立ちを垣間見て、あまりの恐怖に後ずさったわたしは、なんと醜い生き物だろう。自らの限界を見たわたしはただの臆病者である。まこと命の資格すら持たぬ罪深い生命とつくづくも自覚した。木偶の坊以下である。行かぬなら、もはや言葉を扱う資格すら持たない。

ほんとうのさいわいを求める私を鎮めようとする私がいた。幸せに生きたかった頃の遠い叫びに耳を澄ませた私がいた。だからせめて言うまいぞ。もう二度と。

人はみな幸せばかり欲している。愛や平和を口で語りながら無意識に自らの幸せを求めている。痛みを乗り越えたと思い込む人や痛みを見ようともしない繊細な人すら実は利己的だなんて、いったい誰が知り得よう。いったい誰が、そんなことを語れよう。
哀しい命に生まれついた自覚を持つなら、せめて寡黙さを友とすべきではないか。己の醜さを噛みしめつつ生き永らえるほかないのではないか。哀れな、なんと哀れな命だろうか、わたしという人間は。

直観の標本 (真夜中)


創作欲求も空想世界も白昼夢癖も、私の過去の人生を支えてきた。進むとは、それらをぜんぶ破棄することに違いなく、わたしは抗う、力のかぎり。
創造的本能とは自分に変革を起こすこと。過去をきっぱり消して新たな自分へ変貌を遂げること。
知っている。創作欲とひと口にいっても、精神の高い方向と低い方向がある。過去の私を支えたものたちにもそれぞれ高さと低さがある。そこから選択をして残すものと棄てるものを決めればよい。だから創作もひとまずは高い方を選べばよいのだとわかる。新たな自分に見合うものに変化させるのだ、ひとまずは。
先日No.2が短編を書いてそれを試みようとしたようだ。しかしそれにすらわたしは抗う。それでも自分が壊れることをNo.1が感じている。

頭が割れるように痛い、毎日。抗不安薬、頭痛薬、睡眠薬、いまのわたしは薬漬け。自分がバラバラだから。誰かの命を救うために自分の命を潔く捨てられる人にわたしはなりたい。子供の頃からあるNo.2の叫び声におびえている。頭が割れそう。脳の芯がものすごい圧力を受けている。まもなくほんとうにカチ割れそうだ。