とても疲労している、っぽい。

とても疲労している、っぽい。

常なることだけど、思考が回転し過ぎて疲れているのと、実生活を送る人間として周りと調和させる(精神の刃を潜める)ことへの疲れで、夕方は疲労がどっと押し寄せる。そして毎日頭が割れるように痛い。

同時に我欲に縛られない清々しさもあり、このギャップに毎日出会すことで、私は自分が人ではないような気がしてしまう。安らかさを感じつつも今はとても疲弊している。純身体が疲労しているのだろう。

きっともっと身体的な癒しが必要なのだ。脳神経システムと純身体は複雑に絡み合いサイクルして恒常性を保ち機能を果たしている。傾性的意識はそのサイクルの上に絶妙なバランスで成り立っているから、一部が疲労していることで、すべてが苦しいように感じるのだろう。

レベル5に到達した方との会話はとてつもない癒しだ。初めて私は「私」を誰かに知ってもらえた気がする。私の姿が見える人に感知してもらえた気がする。誰にも知ってもらえなくていいのだと心から思いかけたタイミングでそれがやってくるとは。毎度ながら、救いの巡り合わせというものは計り知れない知恵と驚きに満ちている。

敏感性からくるフェルトセンスの強さに圧倒されてもいると思う。アウトプット自体は止められないけど、インプットの量を少し減らしてフェルトセンスを落ち着かせる必要があるのかもしれない。毎日朝に夕に緑の道を歩き、樹々と風と虫たちと戯れフェルトセンスを落ち着かせているけれど、きちんとできていないのだわ。

親友の安否確認がまだできないのは、なぜだろう。生きていないことを受け止めるのが怖いのか? まだ覚悟ができていないのか。いや、もうわかっているから形だけ知っても違いがないのかもしれない。あの日、彼女の最寄駅のベンチに座ったとき感じたこの世の人ではない明確なイメージ、あれが答えだったのか。去年から私にパニック症状が出るのは、そういうことなのか。

ああ、海を見に行きたい。星空の下で眠りたい。