生きてる感覚が以前と違うことに気づいた。

生きてる感覚が以前と違うことに気づいた。

春に苦悩を経験して、痛みのない状態に戻ってきてから、私は何か変わってしまった。もうなんだか、人生を全うしたような感覚がある。ただ、完全にじゃなくてどこかにまだ以前の名残がある。

昨日こんなことを考えた。息子も大人になって独立していなくなったら人生の後半を海辺の街で部屋を借りて、新しく見つけた友達か仲間か誰かと一緒にシェアハウスして残りの人生を意義ある活動をして生きられたらいいなぁ……なんて。こんな妄想をしてしまった自分に驚いた。イメージを描いていたらなぜか泣けてきた。叶わぬ夢だなと。夢……確かに昨日は一瞬それを夢のように思ってつらかった。つらかったから、私はまだ欲求を持った通常の人間なのだと思えた。だけど今日になると、あれは何だったのだろうと思う。本当にそんなことは望んでいない気がして、再び夢や欲求の薄さに呆然となった。続きを書きたかった小説も、もう手をつけられないのかもしれない。

残りの人生にはまだまだ時間があるから未来は明るい、大丈夫、よかった、私は今、これまで苦労したご褒美を受け取っているのだ、と思い幸せだった。春までは。でも今は自分の幸せへの関心が薄くなってしまった。もっと苦しむ誰かのために何か一つでも意味あることができればそれでいい。そんなことばかりが頭の中を駆け巡ぐり時間が過ぎる。元々無欲な人間だったけど、今は輪をかけて無欲になってしまったのかもしれない。自分の欲求というものはどこにいったのか。もう私には何もない気がする。

すべてをやり遂げた感じすらある。大変な人生を弱音を吐かず最後まで生き抜いた気がする。そしてご褒美期間だったはずの今後の人生が消えたことももうそれが自然なようにも思える。

私の人生は終わったのだろうか。だからあとは大切な誰かのためにこの身を使って生きていけばいいだけなのかもしれない。イタチから逃げて井戸に落ちた蠍を思う。夜空に輝く蠍の火になった、赤々と燃えるあの小さな虫の命のことを。

もう本当の本当に、正真正銘のひとりぼっちな場所へ行き着いたような気がする。寂しさも悲しみももうないように思う。ただ少しの名残(寂しさの残像)があるだけ。

感情が強い人間として生まれたのに、感情がもうなくなったような気がする。欲がなくなると感情がないかのように感じられるのかな。私は小学生の頃に怒りを完全に手放し普通の人間の感覚を超えたので、ルサンチマンに属する感情はとうから少なかったけど薄っすらしたルサンチマンすら無くなりつつある。歯がゆい、悔しい、悲しい、後悔、恨み、それもないし、何かを羨ましいとか、こうなりたいとか、それもない。昼間はあるフリをして生きてるけど私の心の奥は空っぽだ。

今は、世界がただただ小さく思える。人間みながとても遠くて小さい。人間の生活というものが、夢で体験しているような直接関係ないおかしな体験のように思う。だから仲間探しなんてもうどうでもいい気がするし、出会えない感はいっそう強くなり可能性すら考えなくなりつつある。

私はどうなってしまったのかな?

突然不思議な男の子に声をかけられたのには、何か意味があるのか。私が普通の人間でないことを察知したのだろうか。

欲求をなくすことは幸せなことなのか?
そもそも幸せなんてもうどうでもよいだろう。 

今日はそれでもまた、やっぱり「HSPを学ぶ会」を開催してみようかと貸スペースを見て適当な場所を見つけて予約する段階まできたけど、なぜかできなかった。こんなに自分と遠いHSPを集めて何をするというのだろう。彼らは研究なんてしたがっていない。……自分の心がもうどこにあるのかわからない。自分が何を求めてるのか本当にわからない。真剣に考えてみるけど……もう何も求めてないような気がする。そんなことってあるのかな。生きてるのか? 生きているのに、生きてないような気がする。

宇宙と繋がった感覚が少しだけ生まれたあの日から、私は変わってしまったのかもしれない。寂しさを私の懐として生きてきたけど、寂しさすらもうなくなったのだろうか? よくわからない。もう感情がない人間になった気がする。

これが健全なのか不健全なのかもわからない。命と残りの人生への執着がなくなった。今はただただ安らかだ……。変な私。