春風の知らせ (著者:凪瀬夜霧さま)

春風の知らせ (著者:凪瀬夜霧さま)

2021年7月27日

 冷たかった冬の風にも温かな日差しが混じるようになった春。桜の便りをテレビのお天気情報で見るようになった。
 休日の夕凪ハウスは午後の微妙な時間の為かとても静かだ。凜と凪々も出かけているし、みゆきさんもカフェにいる。僕だけが夕飯の下ごしらえを理由に一時的にこちらにいた。

 優一と付き合うようになって一年が過ぎた。
 皆、きっと何かしら感じているし分かっていると思う。視線が時々そんな感じがする。それでも何も言わず、温かく見守ってくれている。そんな気がしている。
 交際は順調だと思う。デートしたりもするし、散歩なんかはよく行く。モンにリードを付けて一緒に歩くだけで楽しかったりする。

 でも時々、ふと脳裏を掠めるものもあった。花火のようなあの観覧車を見ると、どうしても思い出してしまう人がいる。
 今更関係がどうこうと言うわけではないし、どうなるつもりもない。今冷静になってみると、僕と透さんの関係は恋ではなかったんだと思う。
 それでも関わった人だ。恋ではなくても、きっと大事な人だった。
 今頃、どうしているのだろう。病気はよくなったのだろうか。別れ際は少し辛そうで心配だった。お姉さんとは、上手くやれているのだろうか。
 別れ際、あの改札口でポケットにねじ込まれた封筒は今もそのまま僕の部屋の引出しにしまっている。

 鍋に呼ばれるまでの少しの間、物思いに耽る僕の耳に階段を降りてくる足音が届いた。誰だろうと思って入口を見ていると、そこに優一が立って此方を見た。

「玲人、少しいい?」
「うん、いいけど? どうしたの?」

 真剣な顔のまま曖昧に呼ばれて少し不安になる。こういう時はあまりいい思い出がない。
 けれど行かないのも違うと思う。鍋の火を止めてエプロンを置いた僕はそのまま優一に連れられ、二階の彼の部屋へと向かった。

 相変わらず本の多い部屋はいつ見ても整頓されている。
 優一は少し先を行って、机の上のパソコン画面を僕に見せた。

「これ、読んでくれないか?」
「えっ、いいの?」
「あぁ」

 他人のパソコンを覗くなんて、すごく悪い事のように思える。でも持ち主がいいと言うのだからいいのだろう。
 立ち上がっているメーラー。促されるままそれを目にした僕は一瞬胸を掴まれたような苦しさに固まった。

 差出人は、透さんだった。

『咲野、あ……元気か?
俺はぼちぼちやっている。今は富良野にいるんだ。空気も食い物も美味くて、のんびりとしている。そこで、こっちで出来た恋人と一緒に農業しながらペンションやってるんだ』

 透さんらしい語り口のメール。そして、元気でいることにほっとした。
 そして何より、恋人が出来たという報告に安心した。
 透さんの寂しそうな顔や、苦しそうな様子が最後だった。笑っていて欲しいと思っていた。だから今、笑えているのだと知れてとても嬉しくて、まるで自分の事のように僕は笑った。

『今は姉と一緒に暮らしてはいないが、連絡は取り合ってる。姉も、お前に感謝してるよ。お前のお陰でこうして、再会する事が出来たんだからな。
なのに俺は、恩を仇で返したよな。悪かった。謝って許されることじゃないとは思っているが、謝らないのも気持ちが悪い。ここは俺の為と思って、受け取ってくれ』

 この一文には、心が違う痛みを訴える。
 全部が上手くいかない頃で、失恋の痛みを透さんで紛らわせた狡い自分もいた。透さんは確かに騙したかもしれない。騙されて身体の関係を持ったのも事実。でも、そそのかしたのは透さんかもしれないけれど、甘えて縋ったのは僕の過ちだ。

 チラリと優一を見る。僕の少し後ろで同じく画面を見ている静かな目。
 優一はこれを既に読んでいる。そのうえで見せてくれたんだ。僕が透さんの事を今も少し気に掛けていることを知っているのだろうか。
 恋人になって、僕は意識的に透さんの話題を避けていた。

「読んだ?」
「あっ、まだ途中」

 視線に気づいたのか、僕の顔をちらりと見て問いかけてくる。僕は慌てて答えて、また画面へと視線を戻した。

『北海道はいいところだな。そっちとは違うのんびりとした場所だ。今はまだ雪があるが、これから溶けて緑が芽吹く。木々の緑も、ラベンダーの紫も悪くない。
お前が許してくれるなら、一度遊びにきてくれ。高城には心配をかけちまったからな、詫びもしたい。お前にも、ちゃんと会って謝りたい。
俺も恋人ができて、そいつの事が一番大事だと思える。こんな俺の為に叱って、抱きしめて側にいてくれるお人好しだ。残りの人生、こいつの側にいたいと素直に思える。それを、高城にも見せたいんだ。もう、心配はないって笑顔で言いたい。
きてくれるなら最高のもてなしをする。俺の恋人も、お前や高城に会ってみたいそうだ。
どうか、検討してくれないだろうか?』

 そう綴られたメールに添付された写真を見て、僕は少し目頭が熱くなった。

 どこまでも高く澄み渡る青空。緑の葉を通して柔らかく光りが注ぐ中、二人が笑って寄り添っている。
 最後に見た辛そうな様子は一切なくて、少し逞しさも取り戻したような透さんは楽しそうに笑っている。畑仕事をしているからか少し日焼けした肌を晒している。
 その隣にはまだ若い男の人が、やっぱり嬉しそうに笑っている。長めの前髪をヘアーバンドで上げた日焼けした顔。剥き出しになった逞しい腕を透さんの腰に回している。
 その後ろにはシックな佇まいのペンションがある。高床で、ウォールナットの木材が綺麗に映える白壁の建物だ。

 幸せそうだ。良かった、もう平気なんだ。
 思ったら涙がこみ上げてきて、胸がジンと痺れたみたいになってしまう。
 優一を振り返ると、彼は優しく笑って黙って腕を広げてくれた。
 この胸の中では素直に泣ける。苦しい涙も沢山あったけれど、今はもっと違う涙だ。嬉しくて震えて、安心に力が抜けて、心から二人の事を祝福している。

「よかったな」
「うん」
「安心したか?」
「うん」

 一つ、僕の思いは終わった気がする。暗い影を落とした出来事は今、ようやく終わって明るい未来へと繋がったんだと思う。今はその思いに胸が一杯だ。

「……夏に、行く?」
「え?」
「北海道。涼しいらしいけれど」
「いい、の?」

 優一の顔を見上げると、彼は難しい顔をしながらも頷いてくれる。でも、難しい顔をするってことは乗り気ではないのだろう。

「優一が嫌なら」
「嫌ってわけじゃない」

 でも、それならどうして苦い顔をするのだろう?
 戸惑って見ている僕を見つめる優一が、ふと息を吐いた。

「直接会えばもう、心配しないだろ」
「うん、勿論」
「……お前の中から早くあいつを追い出したい。なんて思う俺は、心が狭いよな」

 観念したように溜息をつく優一を、僕はぱちくりと見る。苦々しい様子からこれは本心で、つまり優一は……。

「ふふっ」
「笑うな」
「だって」

 恋人なのに、一緒に住んでいるのに、こんなにも近くにいるのにまだ嫉妬してる。それが嬉しいなんて言ったら、睨まれてしまうだろうか。

「夏が楽しみだね」

 笑った僕はもう一度、パソコンの画面を見る。
 文章の最後に書かれたメッセージ。これを書きながら、透さんは何を思ったのだろう。優一宛のメッセージにたった一言、間違いなく僕宛と思える言葉が添えられていた。

『p.s. ペンションの客相手に、またギターを始めたんだ』

 一度は諦めてしまった夢を、透さんはもう一度手にしたのだろうか。大勢の客を前にやるライブではなくても、音楽を奏で歌う楽しさを選んでくれたのだろうか。
 引出しの中、あの日ポケットにねじ込まれた封筒を思い出す。あれの使い道を、僕は今なら前向きな気持ちで考えられる気がした。

Fin.


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