初夏というには早いかもしれない。梅雨の合間に晴天が続いた、そんなある日。 「夕凪ハウス」というオシャレなシェアハウスを切り盛りする渚沢夫婦は、鎌倉が観光シーズンに入る夏に向けて、ちょっとしたリフォームに励んでいた。
久しぶりの晴天とくれば、気になるのは屋根だろう。みゆきさんはその日、白いペンキ缶とハケを持って、鼻歌交じりに屋根を登っていたらしい。
しばらく時間が経った後、バリバリというけたたましい音とともに、「きゃーーー!」という声が木霊した。リビングでくつろいでいた僕や優一、凛、凪々は、突然の騒音に肩が跳ねる。
「なになに?」「あの声、みゆきさんじゃない?」「心配だ、行こう!」と、口々に語り合いながら一目散に駆け出す双子の後を追い、僕と優一も外に出た。
庭に回り込み、屋根を見上げる。凛と凪々が心配そうに声をかける。
「みゆきさーーん?」 「大丈夫ーー?」
すると上から「な、なんとか……」という声が降ってきた。
奥から梯子をもってきた優一が「待ってろ、俺が見に行く」と、双子に声をかける。いてもたってもいられず、僕もその後に続いた。
「みゆき、大丈夫か? って……ウワ……」
優一の背中越しに落胆とも憐憫とも言えない声を聞き、僕はひょこ、と首をかしげて奥を見る。 すると、すぐにその意味がわかった。みゆきさんはおそらく、ペンキの塗り替えをしようと思ったのだろう。そこで足を踏み外し……または、屋根板が腐っていたか何かで……大穴を、開けてしまったらしい。 「やっちゃったーー」
みゆきさんが悲しそうにつぶやく。声のトーンからして、怪我は心配するほどではないみたいだ。優一が「立てるか?」とみゆきさんの手を引いた。僕も肩を貸す。
「うん。驚いて悲鳴をあげちゃったけど、怪我は全然してないわ」
「よかった」
僕はほっと胸を撫で下ろす。けれどみゆきさんは浮かない顔だった。
「全然良くないわよー。屋根に大穴開けちゃったんだから……ただでさえリフォーム代がかさんでるのに、追加で業者を呼ばなきゃいけないのは、大きな痛手だわ……」
「そっか。そうですよね……」
それでも、まずは怪我がなくてよかった。 万が一にもみゆきさんが怪我をしたら、夕凪ハウスの皆が悲しむだろう。とり急ぎ、地上に戻って落ち着きましょうと提案しかけたところで、右人差し指を上唇に当て、なにやら考え込んでいる優一の姿が目に入った。
「……多分、このくらいの穴なら、直せると思う」
「……え?」
「うん、俺と……玲人がいれば、大丈夫」
「……本当?」
みゆきさんの瞳が輝く。それとは対照的に、僕はキョロキョロと視線を動かした。
屋根の、リフォーム? 優一はしたことがあるのかもしれないが、僕は全くの素人だ。頼りになる筈がない。それなのに、そんな大役を任されていいのだろうか。
僕が何か言おうと口を開くが、下から元気のいい双子の声が木霊した。
「みゆきさーーーん!」
「大丈夫ーーー?」
優一が答える。
「ああ! みゆきに怪我はないぞ、屋根に穴が空いただけだった!」
凛と凪々の弾ける笑い声が聞こえる。なんだか面白いのだろう。優一が続ける。
「これから俺と玲人が屋根を直すから、釘と金槌と……そうだな、倉庫にある木板を持ってきてくれ!」 「ちょっとそんな、いきなり……!」
僕が静止しようとすると、優一は「いいから」とはにかんだ笑みを浮かべる。最近気づいた事だけど、どうやら僕はこの笑顔に弱いみたいだ。陽光に照らされた明るい髪と、整った顔立ちが眩しい。 僕は「うっ……」と息をのみこみ、そのまま何も言えなくなってしまった。 双子は「はーーい!」と元気のいい声で返事をし、みゆきさんは「助かるわ。じゃあ、あとはよろしく♪」と梯子を降りていった。 ぽっかりとした晴天の中、遠くからさざ波の聞こえる空間で、僕はぎこちなく、優一と向かい合うのだった。
*** 二人は屋根の上 ***
「──さて」
僕と優一の足元には、様々な支援物資が集まった。ペンキ、ハケ、木片、智彦さんの工具箱。それに、みゆきさんからの豪華な昼食の差し入れだ。長丁場になってもいいように、と配慮してくれたのだろう。ちょっとしたピクニックのような品揃えだった。
「日が暮れる前には片づけないとだな」
優一は腕まくりをしながら、集まった資材を吟味した。
僕は感心したように呟く。
「……さすがだね。優一は、屋根のリフォームをしたことあるんだ」
「ないけど?」
「……え?」
「ま、何とかなるだろ。こっちには文明の利器があるんだから」
ジーンズからスマホを取り出し、ニカリと笑う優一。僕はあっけに取られてしまった。
スマホをスイスイと操作しながら、ヒットしたページを見つめ、釘と木板を取り出す。そんなに簡単な物なのかな? とスマホ画面をのぞき込むが、説明が英語で書かれていたので、よく分からなかった。 「玲人は曲がった釘を伸ばしてほしい。こうやって、金槌の裏を使って……」
「う、うん」
優一に勧められるまま工具箱の中を覗くと、たしかに年季が入り、錆びたり、曲がったりしている釘が多かった。釘を伸ばすくらいならできそうだと思い、腕をまくり、金槌を握る。トントンと軽快に叩くと結構簡単に角度がつくが、今度は逆方向に行き過ぎないよう、調整するのが難しかった。 「…………」
ふと視線を感じ見上げると、優一と目があった。そういえば、手が止まっているみたいだ。どうしたんだろう?
「……いや、久しぶりでさ。こういうのいいなって、ニヤけてた。ごめん」
「こういうの?」
「──二人っきりになるっていうこと」
「あっ……」
──そういえば、思いが通じたあの日から約半年が経っていた。 夕凪ハウスの皆には公言していないので、シェアハウスでは今まで通りにふるまっている。休日、二人の予定があった時に、ひっそりと出かける。それがささやかなデートだった。
充分か、と言われれば嘘になる。予定がすれ違うことも多く、休日はずっと一緒、というわけではない。泊りの旅行も数えるくらいだ。
夕凪ハウスで二人きりになったのは、本当に久しぶりかもしれない。それが屋根の上になるなんて思いもしなかった。解放感に溢れているのに、誰にも見られることがないなんて、ちょっと不思議な感じだ。
「二人の共同作業っていうの? こういうの、新鮮だよな」
「そう言われれば、そうだね。僕もこんな経験初めてだよ」
「もし二人だけで一緒に暮らしてたらさ……こんな感じなのかなって」
「……え?」
優一は四足のままゆっくりと近づき、右手を僕の左手に重ねた。
優一の髪が陽に透けて綺麗だ。鼻筋は高く、バランスがいい。節目がちの瞳は熱をはらんでいるようだ。形の良い眉は少し、歪んでいる。何かを我慢しているのだろうか。その熱の行方は……もしかして、僕?
「玲人……」
優一の右手が僕の左手に絡む。その手は熱く、少し汗ばんでいる。声にもしっとりと熱が滲んでいるようだ。優一は左手で僕の顎先に触れると、壊れ物を扱うかのようにそっと、ゆっくりと上を向かせた。
「優一……その、あの……」
「ん……」
優一の眼差しは熱く、まっすぐに僕を見ている。優一の瞳に映る自分の顔は、怯えながらも何かを期待しているようで、なんだか変な表情だ。 優一の唇が近づく。二人の前髪が風に吹かれ、交差する。僕は離れることなんてできない。
どちらともいえない吐息がまじりあい、瞳を閉じる。唇と唇の境界線がなくなる──その時だった。 「待ってよ、凛!」「いやー! これは私のだもんねー!」 下から、元気のいい双子の声が聞こえてきた。僕はぱちくりと、思わず瞬きをする。
屋根の上にいても、こんなに声が響くのか。さっきもみゆきさんの悲鳴が聞こえたのだから、当然といえば当然か。
──優一と僕は、思わず笑ってしまった。
「……恰好つかないな、これじゃ」
優一は照れ笑いを隠すように、横目で額を拭う。僕も熱くなった頬を手のひらで冷やした。
なんとなく名残惜しいような、残念な気持ちだった。 けど、こんな空気も悪くない、かも。
──さ、作業を再開するか。と軽く伸びをする優一。僕も膝を伸ばし、少し深呼吸をした。
空は青く、うろこ雲がゆっくりと流れていく。幸せ、というのはこういう事かもしれない。 直角定規でアタリをつけ、一気に線を引くと、ノコギリを動かし、寸分違わない大きさの木片を作る優一。屋根の穴を覆うように手際よく並べると、主軸となる木片を釘でしっかりと固定し、それに連なるように、トントンと繋げていった。
本当に初めての作業なのかと感心してしまう。僕は釘と板を押さえることくらいしか出来なかった。金槌を振るう優一の腕は細身だが、程よく筋肉がついている。うらやましいな、と思ってしまう。口端に釘を咥えて、真剣な眼差しで屋根と木片を凝視している姿も、とても恰好よかった。
屋根はすっかり元通りになった。穴が空いていたとは思えない出来上がり具合だ。
僕と優一は修復部分を満足げに見つめる。あとはペンキを塗れば完璧だ。写真を撮って、みゆきさんにも見せよう。きっと喜んでくれるに違いない。
「大分片付いたな。少し休憩にしよう」
「うん。用意するよ」
僕はみゆきさんが用意してくれた空色のランチョンマットを大きく広げ、風圧でシワを伸ばす。綺麗に敷けたら、ピクニックバスケットとお皿とコップを重石代わりに配置した。
バスケットを開くと、中にはハムやトマト、レタス、チーズが美しく並べられたバケットが入っていた。鳥のササミと人参のマリネも色鮮やかだ。器に盛られた苺とグレープフルーツも食欲をそそる。横にはスープジャーもあり、蓋を開けるとコンソメスープが暖かな湯気を立てていた。さすがシェアハウスの経営者。ちょっとした料理雑誌に掲載されてもおかしくない出来だ。 「随分手が込んでるな」 優一の率直な感想に思わず笑ってしまう。
「本当に。修理代の代わりに頑張ってくれたのかも」
「そうだな。腹も減ったし、有難くいただこう」
優一は備え付けのウェットティッシュで手を拭うと「いただきます」のポーズをしてから、バケットにかじりついた。
新鮮なトマトとぎっしり詰まったハムが溢れ、思わず零れそうになる。溢れる汁を手で受けようとする優一の口元に、慌ててナフキンを差し出す。そんな仕草がなんだかおかしくて、二人して思わず笑ってしまう。
僕も優一のように思い切り噛り付いてみたが、口が小さいのか、思
うように具に到達できない。あぐあぐと咀嚼する僕の姿を見て、優一が「ハムスターみたいだな」と茶化した。少し拗ねてみたが、自分でもその通りだと思う。
水色のスープジャーに注いだコンソメスープも絶品だ。素朴な味わいだが、バケットの塩気で乾いた喉を、ほっと落ち着かせてくれる。お腹も心も満ち足りて、疲れが癒されるようだった。
──昼食後、優一と僕は、流れる雲をぼーっと観ていた。僕は眠気と、優一と二人きりという高揚感も相まって、不思議と夢見心地になっていた。
「……こうして雲を見ていると、何だか絵画みたいだね」
僕はふわふわとした心地で呟く。優一は目を細めて僕を見た。
「……そうかもな。俺には、お前の方が絵画に見えるけど」
「僕が?」
「そう。俺がイギリスに行った時、美術館に寄ったんだ。そこで有名な絵画を見たけど、あまりピンとこなかった」
「そうなんだ」
「ああ。どんな美術品より、お前の方が……」
優一のうっとりとした視線を受けて、僕は「?」と小首を傾げる。すると彼は小さく息を吸い込み「いや、なんでもない」と首を振った。よく見ると、耳の先まで赤くなっている。初夏になりかけといえども、屋根の上は暑過ぎたのだろうか。少し心配だ。
「──今日は楽しかった」
優一が、ぽつりと呟く。僕も大きく頷く。
他人から見ればなんてことない一日だったかもしれない。けれど、豪華なディナーを食べたり、贅沢なホテルに泊まったりするだけでは味わえないほど、充実した時間を過ごすことができた。優一と二人なら、屋根の修理だって立派なデートだ。
──遠くで、凛と凪々が僕たちを呼ぶ声がする。きっと心配してくれているのだろう。
僕は最後に、渾身の勇気を振り絞り、優一に軽く口づけをした。
「なっ……!」
滅多に見られない優一の赤面顔に、僕は一種の優越感を覚える。
「……また一緒に、空をみよう」
僕の言葉は風に乗り、宙へ舞い上がる。
その後の二人の会話は、流れる雲だけが聞いていた。
END
********
justin87 様の出品サービスはこちらです。
https://coconala.com/services/1470482
********
