どこか別の帰る場所がある──そう感じていた少女の“物語”

どこか別の帰る場所がある──そう感じていた少女の“物語”

2025年7月27日

これは、わたしのお別れの手紙。

ここではない、どこか別に帰る場所がある──わたしには、そんな思いがずっとあった。
幼い頃から、現実の世界に居ながらも、もうひとつの場所が自分の内側にひっそりと息づいているような感覚があった。
寂しさと美しさ。その二つが重なり合うやわらかな空間。心のどこかで、いつもそこに帰りたいと願いながら、わたしは生きてきた。

これはそんなわたしの物語。物語の意味を求め、物語への愛を知ったお話。そして、物語へのお別れの手紙。

現実と内面世界――“痛み”と“超越”と。

生きる意味とは何か、この美しい地球にどうして残酷さが同時に存在するのか。わたしは子供の頃からそんな問いを心の奥深くでずっと抱えていた。
世の中の人の思いやりの欠けた態度や、人が人の尊厳や命さえも平気で奪うという現実に、どれほど心を痛めたきたか。苦しむ人を思い、涙で枕を濡らした夜がある。涙すら出ず、呆然と立ち尽くした日もある。
大人になり、自己探求の旅の途中で、自己超越という脳の構造を持つ存在を知るようになった。利他性を強く発揮し、自分が当たり前に得ている欲求や権利すら密かに手放していく――そんな稀な心の在り方を。
それは、幼い頃から歴史や書物の中で、うすうす感じ取っていた“異質な何か”だった。ひどく惹かれる人間の真実の姿だ。わたしの周りにはなかなか見当たらなかったそのような存在を、昨年ここで言葉を重ねたことで、間近に知ることとなった。

創作の意味と消えゆく世界。

長年続けてきた創作――絵を描き、音楽を作り、小説を書くこと。
それは単なる自己表現や、承認欲求を満たすための行為だったろうか。ある時期から、そんな疑いが無意識の中に芽生えていったようだ。
自分を満たすための行動、創作欲を解き放つ自分のための時間。そんな世界よりも、さらに深い意味を持つ世界の存在とその感触を知ってから、また、言葉と論理でその世界の構造に触れられるようになってから、大切にしてきたはずの創作世界が、少しずつ自分の中から消えていく現象が起き始めた。自分の半身がなくなっていく、そんな途轍もない感覚に襲われるようになった。
やがてその喪失は、言葉にならないほどの苦しみと、胸の奥底から湧き上がる恐怖、悲嘆をもたらした。
なぜ、こんなにも恐ろしく、哀しいのだろう。自分が築いてきた世界が消えていくことに、どうしてこれほどまでに心が引き裂かれるのだろう。
わたしは自分自身に問いかけ続けた。

物語と音楽、それは安らぎの国。

物語の構造を紐解くことは、わたしにとって得意なことのひとつだった。
物語には円環構造がある。往って、還ってくる。
わたしの頭と心から生まれたものたちも、さまざまな意味を含みながら、最終的には必ず自分自身の「理由」へと還っていく――物語には、そんな不思議な流れがある。

わたしが創作してきた世界は、孤独な子供だった自分自身が姿を変えて棲む場所でもあった。
現実の残酷さを敏感に感じとる感性は、やがて内面の世界に、残酷性のない安らぎの空間を築くことへと向かっていった。
それは、現実から逃れるための場所であり、同時に、本当に息をすることができる“棲家”でもあった。

小説だけではなく、音楽やイラスト、言葉にならない映像や、心に浮かぶ人物たち――
形にならないものたちも含めて、すべてが私のもう一つの世界だった。
ときにその世界の住人たちが自分に憑依して、わたしの言葉や態度に現れることすらあった。

これはたしかに現実逃避であり、生き延びるための手段だった。けれどもそこではたしかに、住人たちと手を取り、肩を叩き合い、抱きしめあうような、温かな空気があった。
少し寂しく優しい風が吹いている──それが、私の物語と音楽の世界なのだった。

寂しさと美しさ――情緒の寝床。

私の愛してきた内面世界には、ほのかな寂しさがいつも漂っている。それは生きる上で避けることのできない悲しみや虚しさや苦しみが、どんなときでも目を背けてはいけない現実としてあることを、やわらかく伝えてくれるものでもある。

周りの人たちは、不幸や悲劇を「自分には起きないこと」として受け流し、前向きに生きている。けれど、私にはそれが難しかった。自分に起こるかどうかが問題ではなかったから。それが「ある」ことが自分にとっての現実に違いなかった。
だから、この残酷な世の中で生きていくための“よりどころ”がわたしには必要だった。かつてそれは“愛の神”だった。それを手放した後のこったのが、“物語”だったのだ。

物語と寂しさは切っても切れないものだ。
自然界の美しさもまた、どこか寂しさをまとっている。それは人の目を通すかぎり「情景」として映るのであり、情景はただ明るい世界などでは決してないのだ。

寂しさと美しさは、共にある。
寂しさは美しさ。
涙を知る悲しみこそが、ほんものの優しさを孕んでいる。
そこは懐かしくやさしい、わたしの寝床だった。

自己保存の祈りと静かな願い。

自己超越――自我を消し去る働き、そういう人の在り方。それはわたしが想像しうる限りもっとも真理に近い姿だ。同時にそれは、とても冷たく、彩りがなく、人間離れした世界を映し出す。そこには静寂があるが、温度がない。

今わたしの中のわずかなわたしが、訴える。そこから距離を置きたいと。寂しさと温かさのあるこの小さな世界を守りたいと。
自分は愚かだと思う。それでも、この情緒の寝床を抱きしめること、それと手を取り生きていくことこそ、かけがえのない安らぎであり、唯一意味もなく求めうるもの──美、そのものだと感じる。

誰かに理解されなくてもいい。
1%のわたしが祈っている――
「どうか、この大切な内面世界が、誰にも何ものにも消し去られることなどありませんように」と。

音楽──それは安らぎの国。静かに息をしている物語。

まだパソコンすら普及していなかった頃のこと。二十代の私は初めてモバイルシーケンサーというものを手にした。あの日のことを忘れない。「YAMAHA QY 100」。頭の中に次々と浮かぶ音楽たちを、一度に演奏して鳴らせる、箱の形をしたまほうの機械。五歳の日はじめて曲を作った日から想像していた“夢の箱”をわたしは手にして、ひどく興奮した。
時代は移り、シーケンサーを手放し、パソコンとDAWソフトを使って音楽を作るようになった。MIDIを打ち込み、ミキシングで細かな編集や音の調整をするのが本当に楽しかった。マスタリング録音をしてファイルを次々にこしらえた。ときにはギター演奏を伴奏の一トラックとして入れたり、ボーカルも歌って録音してみた。理数系は苦手なのに、音域や音圧まで調べたし、音楽制作というものを多面的に体験していった月日は、かけがえのないものだった。

そうやって紡いできた音楽たちは、どこかあたたかく、もの寂しさを湛えている。絵本のような音楽たちだ。三十代の頃、「空想音楽工房」という看板を作り、ウェブサイトで公開してみた。その曲たちは、遠く古いどこかの国のメロディー。懐かしい日本の民謡のよう。レトロな8ビートのロックポップ。かわいく優しいワルツ。
そして、、ここに生きているのに、別の帰る場所がある──歌の中に出てくるものたちはいつもそう言っているように見える。

朝やけの国

東風が吹いたら 流れる雲を見つけて
遠い空から来たそれは光の船
小さな雨粒は そっと大地を濡らして
いつか果てない海 流れて旅をする

君もおいでよこの場所へ そんなに涙こぼれる日は
銀のしずくが降りそそぐ空 朝やけのこの国へ

胸に眠る夢は全部捨てておいでよ
夜明けの海光る虹を見せてあげる

だからおいでよこの場所へ どんなに心傷ついても
涙をためた瞳のままで おぼつかない足取りでも
きっとおいでよこの場所へ 
君を待ってる空があるよ
蒼い涙の風が吹くよ 安らかなあの丘に

オリジナルDTM曲『あさやけの国』

あさやけの国
  https://youtu.be/yZ9Kgi5gzsM 歌なし オルゴール ♪朝やけの国東風が吹いたら 流れる雲を見つけて遠い空から来たそれは光の船小さな…
qureco.me

時は流れ、いまはもう遠い昔語りのようなはなしだ。何十年も飽きもせず愛し続けてきたというのに、ここにきてずいぶん変わってしまった。違う世界を見たことで、愛着というものが姿を変えたのだろう。
誰かに聴いてほしいという気持ちはもう消えた。これがわたしの音楽です、といつか親しい友だちに伝えられたら──ずっと抱いてきたそんなささやかな願いももうどこかへ消えてしまった。今は、誰にも知られなくていい。ただその小さな音楽たちが、サイトの片隅でそっと息をしてくれている、それだけで、わたしの物語はまだそこにあるんだと感じられて、今夜もしずかに目を閉じることができる。