
このシリーズの最後にします。これまで自我境界の薄さからくる痛みや苦しみとの親和性の高さ、善悪など重いテーマとの関連性を書いたために、重苦しく息苦しい側面を強調してしまったかもしれません。そのため今回はそれらと同じほど強調したいことを書きたいと思います。これで完成となります。
全記事(1)〜(5)↓
今回、前半は、心理構造の例としてまた私自身のエピソードを絡めた内容です。後半は、その心理構造を元に考えることができる、人より強く苦しみを感じる人間の人生の向き合い方について大切な視点をまとめてみました。( 後半でno+eクリエイターさまの記事を引き合いに出しています。)
目次
大洋感情の心理構造
散々書いてきたとおり「自我境界が薄い」という特徴があります。すべてがつながっている感覚です。ポジティブもネガティヴも多く感じます。
他者の苦しみを感じとり自分の苦しみのように思う、ということは……

……同じように、世界に存在する美しさを感じとり自分も最大限に高揚する、歓喜する、ということなのですね……!!
人間界の「苦しみ」を感じ取る力は、自然界と一体化するときの「喜び」でもある。どちらも強く感じ取る、どちらも深く認識する、ということです。心理構造なので、この両者を引き剥がせるものではありません。
エピソード⑤
美しい風景からメロディーが生まれる
これは私自身のエピソードなので、他の方に当てはまるとは限りませんが、私はこの感情のおかげで、生きる喜びを人一倍感じてきた人間でもあります。世界との一体感がたくさん喜びをくれる。オリジナルの音楽ができるのもこれのためです。
初めてメロディーが生まれるようになったのは記憶では5歳のとき。まだ父親がいた家庭の頃。(少しだけ父親の話を。父は色々なことにチャレンジする好奇心旺盛な人物でとっかえひっかえ新しい何かに夢中になってました。一方で主体性の塊のような人間でもあり威風堂々といえばよいか。あらゆることに自分の意見を持っていて揺るぎない自信を持った人物だったので、世間になかなかいないほどどっしり構えた雰囲気を放ち、大抵の人は父親を前にすると自分の中にある気弱さやポリシーの無さが露呈してしまい自信を失うことになるのです。離婚後も度々会うことがありましたが、二十代の頃私は自分の尊敬する人や大切な人を父親に合わせてはいけないと思ってました。その人の芯の無さと筋の通らない意見や行動を発見してしまうことになるから。それほど他にいないタイプの誇りと自信を持った人間だったので、ゆえに普通の人は威圧感や圧倒される感覚を覚えてしまうのです。私も子供の頃、自信家で堂々たる振る舞いの父親がすごく怖くて、家の中で隠れてばかりいました。声をかけられると震え上がっていましたね。)こんな父親が当時シラスを取るのに夢中で頭に付けるヘッドライトを持って、夜に家族を伴って出かけたことがあります。そのとき田んぼの|畦道《あぜみち》を皆で歩いていったのですね。父親と母親と私と弟で。ヘッドライトの金具を弾くと蛙の声のようで面白く、やがてそれに呼応するかのように周りで蛙が鳴き始めました。
周りの田んぼから牛蛙の合唱が響き始め、夜風が吹いて、生ぬるい夜の空気はなぜかとても心地よく、私は幸せに身体全体が包まれてしまったのです。ああ!夜の散歩道ってなんて美しいんだろう!!何もかもがきれいで興奮してしまい、私は飛び跳ねて歌を歌い始めてました。メロディーが頭に流れ込んできて、(なぜか日本のぴょんこ節みたいなリズム笑)そのメロディーを歌いながら弾んでどこまでも畦道を歩いていきました。「散歩の歌」と名前をつけた、人生初のオリジナルのメロディーは今でもよく歌います。
以来、美しい風景を見て興奮すると、頭にメロディーが流れ出します。その風景からダウンロードする感じに近いです。そうやって色々な場所で色々な風景を見て感動してたくさんの曲を作り上げてきました。あんまり沢山できるので、あるときから「作曲」として形にして残すようになりました。昔YAMAHAのシーケンサーQY 70というものがあってそれを入手したとき、これまた興奮して飛び回りましたね。出来上がったメロディーにリズムと伴奏を思い通りに付けて曲としてまとめて、その機械で鳴らして楽しんでました。これです。懐かしい〜〜!!
二十代の頃まで、ピアノバラードみたいな曲が自然にできてましたが(特に木漏れ日を見るとメロディーを感じるので新緑の季節には次々にできました。)、二十代の中頃から突然8ビートロックやポップなリズムのものができるように。初めてポップなメロディーとリズムができた日のこともよく覚えてます。あれは家の中で掃除機をかけていたとき。笑
私はイギリスが好きなのでイギリスに行きたいと思いながら美しい丘が続く風景を頭の中で想像しながら掃除機をかけてました。そしたら突然メロディーが降りてきて、この時はまたたくまに歌詞と曲が一緒にでき歌いながら作ってしまいました。風景を思い描くことでその美しさに興奮したのです笑 これ以来ポップソングを作るようになったので私には記念すべき曲なのです^ ^
それが以下の曲。(自分で歌っています。)
美しい音楽に大興奮する
あなたは、初めて好きな音楽に出会った日のことを克明に覚えていますか? 私は幼稚園の頃、ピアニカを弾いて行進する時に覚えたフォスターの曲『おお!スザンナ』に大興奮してしまい、家に帰り文字通り〝叫んで〟いました。母親の脚に絡まり聞いて聞いてー!と話し続けていましたね。音楽ってなんでこんなにきれいなの! 音楽ってなんでこんなに素敵なの! 楽しいの!! って。音楽が好きで好きで仕方なかったです。
親として何も教えてくれなかった母親が唯一私に「教えてくれた」ものが「歌」でした。『みなと』という歌と昔の日本の古く暗い曲調の子守唄を歌ってくれたとき心に沸き起こった感動を今でも忘れられません。小さな頃に触れた、あらゆる美しいメロディーにどうも私は異常に興奮する性格だったようです。学校で滝廉太郎の『荒城の月』を教わったときは物悲しく流麗な旋律に胸が詰まって言葉が出なかった。嗚咽が込み上げるほど感動で胸がいっぱいでその日は大変なことになっていました。小学校のとき使っていた『みんなの歌の本』は、家に帰ってから夜寝る布団の中でもページをめくって歌っていたのでぼろぼろになってました。『七夕』『きよしこの夜』『里の秋』『レロンレロンシンタ』etc……どれほど私がこれらの曲を愛してるかを誰かに話さずにいられなかった。世界中の魅力的な旋律に触れるときのこの興奮を収められず、何度も何度も母と妹を捕まえて音楽の素晴らしさについて喋っていましたね……笑 周りの友達は、私ほどに音楽に興奮してない気がして同世代の子たちにはあまり話せませんでした。友達と音楽を語れるようになったのは、アイドルの曲や歌謡曲や流行歌をみなが話すようになってから。私も当然そういう曲が好きだったのでやっと誰かと音楽の話をできるようになった。でも、流行歌より前にもっとたくさん感動した歌や大切な曲があって、それらの話はなかなかできなかったし今でも語れる人がいません。
絵を描くことと文章を書くことは同じ?
音楽の話ばかり書きましたが一番してきたのは絵を描くことでした。絵を描くときも、小説を書くときの描写も、結局頭の中のイメージ[映像]を書き写しているので想像の世界が鮮やかだからできることなのです。
これは大洋感情を持っていた宮沢賢治と同じ。賢治さんはお話を『心象スケッチ』と呼びました。見えてるものをそのまま書いたのですね。これは解離傾性が高い人の特徴なのでしょうか。実際の現実世界と空想や妄想の境目があいまいです。リアルと想像は入り交じっています。本当にそこにある気がするし、見えてるので描けるし、書ける。考えてるのでなく、感じているので詳しく描写できる。特に小説の風景を描写するときは、色合いのニュアンスや形の微妙な感じや質感や匂いや温度まで感じられるので、それを文字にそのまま正直に書き起こしていく作業です。
私には、文章と絵の境目もなくなる時があります。漢字やひらがなの美しさ、句読点の入れ方、短文と長文の交ざり具合、フォントの種類によっても読むときの高揚感が変わりますよね。文章はリズム感と切っても切り離せないので、音楽のようでもありますね! 日本語が織りなす文章の音楽は七五調や五七調が多く、それはとても美しいです。美しいリズムを感じる文章には心底愛情を感じます。境界線や境目がないからこその感覚ですね。
美と残酷さを同時に感じ取る
このように、世界が持っている美しさ。それは風景だったり、植物や動物と触れ合うことだったり、音楽だったり文章だったり、絵や写真や彫刻や映像や物語や、歴史ロマンや、誰かの心の温かさ、思いやりや優しさだったり。好きもの、善きもの、良きもの、佳きもの、……これらを強く深く感じ取る能力とこれらを強く深く愛する能力は、人が作った社会に存在する残酷さを感じ取り苦しんでしまうその能力とまったく同じ構造で成り立っていますよ。
──だから、生きづらい、激しい体験ばかりして苦しい人生だった、というけれど、その人は同時に人一倍美と喜びを感じ取ることもできてきたはず。と私は思ってしまいます。どうして一方だけということがあり得るでしょう。

線が薄いなら喜びと苦しみに「触れる」部分が大きい。
多く感じ取る人は多く苦しむ。不条理な社会に殺されそうになることもある。死んだ方が楽だと真剣に考えてしまった時は私もこれまでの人生で三度ありました。心臓が石になって息が苦しくなり、苦悩で頭が焼き切れそうになり、恐怖の感情で生の感覚がなくなり。生きてると死んでるの境目がわからなくなる恐怖はとても言葉では表しきれません。でも同時に、この世には知りたいこと見たいもの体験したいこと味わいたいこと表現したいことがあり過ぎることを感じてもいて想像が勝手に果てしなく広がるので、この想像力に支えられて命を繋げてこられたように思います。
禍福は糾える縄の如し、と言いますよね。生きてると、善いことも悪いことも交互に巡ってきます。それと同じように、苦しみは喜びとまるで表裏一体です。死への恐怖は、生きることの幸福をひときわ強く感知できるからこそ起こる苦悩ですよね。二つはひとつ、切り離せないもの。このような心理構造をしている人はいるはずです。
そこで、後半は視点を少し変えて、この仕組みを元に生きることを捉え直してみたいのです。苦しんでる人は喜ぶこともできる人だ、という原理を。
社会と世界の違いを知る
さかもと五度さまの記事が深奥を突いてます。
小説を書かれる方でもあり大切なメッセージをわかりやすく洗練された表現で書いてくださっていて感動しました。大洋感情の視点からしても共鳴することだらけでした。サムネイルが明るい世界なのもこの原理を示唆していますね。
https://note.com/sakamoto444/n/nf3fe9f28e9bf
ここで書かれていることそのものだと思うのです。あまりにもこれは真実だと感じます。生きるのに苦しみを感じやすい人はこの表現を文字通りそのまま受け止めてほしいと私は思います。ぜひ記事を最初から読んでみてほしいのですが、ここで、最後の文章を引用させていただきます。
社会をまともに生きようとすると疲れます。時には気が狂いそうになるでしょう。
なぜなら社会が狂っていて、まともに生きることを阻害してくるからです。だけど世界は揺るがない。
世界の美しさは社会がどうあれ変わらないのです。
そしてその世界の美しさに気付けるあなたも変わってはならないのです。クズ社会に合わせて生きてはダメです。このクズ社会を上手く生きられないあなたは絶対的に正しい。だから死なないでください。
クズ社会を生きてると死にたくなる、でも世界のためには輝いて生きていける。
ぜひそのように生きてください。
思うに、社会との相性の悪さは、世界との相性の良さでもある。死にたいとまで感じる人は、社会の悪をきちんと感じ取ることができる「正常な人」でもある。ならば世界に存在する美や歓喜も必ず感じ取れるはずなのです。
死にたくなるほど強く激しく苦しみを感じる人へ
記事に書かれているとおり社会と世界の違いを認めてほしいです。
世界──これは社会より大きいもので、これこそ真実の世界です。そこではあなたの命は全肯定されています。そう、社会が何とあなたを評価しようと世界にとってあなたは絶対的に必要な存在です。社会の声など聞かなくていいので世界の声を聞き取ってほしいです。
社会はイデオロギーで形成された身勝手な枠組みともいえます。それが機能する組織のこと。このイデオロギーは絶対ではなく誰かが作り出したもの。そもそも人の世にどれだけの数イデオロギーがあるか知っていますか。
たまたまその中の一つの枠(つまり社会。日本は資本主義社会、厳密に言えば民主主義と重なったイデオロギー社会)にあなたは押し込められて苦しめられているだけ。たまたまそこと相性が悪いだけ。資本主義社会には不条理な仕組みがたくさん存在してる。苦しむのは当然で正常なことなのです。死にたいと感じるあなたは間違っていないです。
そして気づいてほしいのは、社会ではなく世界はたったひとつだということ。世界にはイデオロギーがそもそも存在しないので、分離や対立もそこには存在していない。すべてを受容し肯定する絶対的な「ひとつ」があるだけです。この「絶対」に、あなたの命は全肯定されている、ということです。「社会」を「世界」だと勘違いしてはいけない。人間社会は世界ではない。
先のリンク記事の言葉を見て感じ取ってほしいのは、社会と世界の定義の違い。道徳と倫理の定義の違い。
多くを強く激しく感じる人は、悪を持つ社会のために生きず、美を持つ世界のために生きることができるのです。社会のルールである道徳に合わせる生き方でなく自分の価値観で再評価して作り直した、自分の中に息づく善の倫理を本物の道徳とし、自他に正直に生きていけばいい。
愛は憎しみ、愛情は怒り
何かを強く激しく憎めない人は何かを強く激しく愛することもできません。誰かを少しだけ愛して少しだけ憎む人、誰かをほどほどに愛してほどほどに憎む人、誰かを激しく愛して激しく憎む人。この対象物を「平和」に変換してみてください。平和を強く愛する人は悪を激しく憎む人です。あなたは平和を少しだけ愛する人ですか? それともほどほどに愛する人ですか? それとも激しく強く愛する人ですか?
もし最後の人なら、あなたは悪というものを憎み怒り狂っています。憎むためには感じ取れていないと始まりません。つまり社会の悪を感じ取り苦しんでいるあなたは愛することの深い意味を知っている人でもあります。愛と怒り、愛情と憎しみは、同じです。繋がっています。折り紙の法則です。同じ心で受け止めるものです。マザーテレサの有名な言葉にあるように、愛の反対は憎しみではなく、無関心です。
平和を大切に思うあなたは悪に怒りを抱く人。
冷静でいられないあなたは、興奮してしまうあなたは、「正常」なのです……!!
痛みを感じれば感じるほど、歓喜も強烈に感じられるのです。それは同じ心だから。「大洋感情」の仕組みをぜひ参考にしてください。苦しみも喜びもそれを感じる力は、同じ心理構造から起こりますし、同じ仕組みです。どちらか一方だけなんてあり得ないと思います。
激しくしなり、激しく跳ね上がる
人の精神は、バネみたいなものではないでしょうか? たくさんしなってダメージを受ける人はたくさん跳躍して上がる人でもある。平和への愛も同じ。たくさん平和を求める人はこの社会の狂った構造にたくさんダメージを受けて苦しむことになる。けれども跳ね上がるときは苦しみをあまり感じない人よりも多く跳ね上がるし、そのためのポテンシャルを秘めています。苦しいなら、一気に上がるというよりじわじわゆっくり上がればいいと思います。一つ一つ階段を登っていくように。登り切った場所が「社会」の評価では他者より劣っているとされる場所でも怯まないでください。そこまで登ってきたあなたの力の大きさを否定できる人などこの世のどこにもいません。

追加の記事も読んでくださり感謝します。ここまで長いシリーズにお付き合いいただき誠にありがとうございました。
🌊🌊🌊 Oceanic Feeling 🌊🌊🌊
Fin.
