自己相似性による勘違い

2025年9月10日

・第三因子の萌芽による苦悩を、思考で変化させられると考えているなら、それはレベルⅢの苦悩の本当の意味がわかっていないことを意味している。

・垂直葛藤による苦悩の核は、社会適合問題とは完全に切り離されている。あるべき論を振りかざす、という表現が出てくること自体がおかしい(※)そのような水平軸で起こる葛藤を抜けた段階の苦悩のことであり、自己の内部でのみ起こる激痛だ。他者や社会に対しての感情的衝突はむしろ克服しきった後に現れる苦悩なのだ。ギフテッドを名乗る名乗らないにかかわらず、これはほとんどの人間が体験しない、自己が二つに引き裂かれるほどの目を背けたくなるような個人的、内面的痛みのことだ。考え方の変化や新たな気づき、自由意志で左右でき得るものではないからこそ、それは[真性の自律的な良心]と呼ばれている。「べき」に囚われた思考などではなく、新たに生まれた「ほんものの心」なのに、正しい考え方でなんとかできるなどと歪められて語られることは悲しい。

自律的な「意志」という言葉では説明しきれないからこそ、第三因子は「良心」と呼ばれている。ここの違いはあまりに重要だ。

※ あるべき論を振りかざして他者と衝突が起こることは水平葛藤(単一次元の崩壊)の段階における〝積極的不適応〟のこと。垂直の葛藤(多次元崩壊)で生じる「べき」とは根本的に質が異なる。自己相似性があるために、このような見誤る現象はこの理論につきものですが。

・この尊いドンフロフスキの理論が──、社会や時代の質によって変わったりしないこの普遍の倫理を紐解いた理論が、単なるギフテッドたちの社会との向き合い方、思考や意志や生き方の問題として扱われることは悲しすぎないだろうか。

この投稿は、ドンフロフスキの魂の温度に心を抉られた人間によるささやかな叫びである。特定の個人を批判する意図はない。

よければ、積極的分離理論の、体験を交えたより詳しい解説、とくに以下の質問集をご覧ください。

できれば、こうした不十分な解説の陰でますます見過ごされていく、本当の孤独に苦しむ者があるという事実を知ってほしいのです。「思考」や「認知」の問題ではない。「ものごとの捉え方」や「自分の生き方を決める強い意志」などでどうにかできる領域ではもはやない、精神に新たな次元が立ち上がりその構造自体が劇的に変容(多次元崩壊)したために苦しみもがき生きている者がいるということを。

ギフテッドを語る者ですら真実を封じ込めようとする──この現象から目を背けることは何を意味するのでしょうか。

よければ、積極的分離理論の、体験を交えたより詳しい解説、以下の「Q&A集」や「特設ページ」をご覧ください。

第三因子「本物の良心」は多くの場合誤解されたまま発信されています。ぜひ一連の記事をお読みください。

Q &Aでは、この理論特有の具体的かつ専門的語彙を用いて正しい説明をしています。ぜひご覧ください。

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