『HSP』とは何か?(6)─ 「感覚処理感受性」と「差次感受性」+ 似た性質との違い

『HSP』とは何か?(6)─ 「感覚処理感受性」と「差次感受性」+ 似た性質との違い

※この記事は約一万二千文字です。
※シリーズ全記事のタイトル画像を変更しました。
※今回は全体の「まとめ」としての意味を持ちます。

先回の記事↓

感覚処理感受性(SPS)のまとめ

感受性は誰もが持っている。
ほどほどに敏感な人が最も多い。

これまで書いてきたように、HSPとは、人類の中でSPS因子(感覚処理感受性)というものを顕著に有している人のことを指します。図にあるようにベルカーブで見ると右端に位置する少数の人たちのことです。

このSPSを多く持つHSPであるか否かは「DOES」を四つ揃って持っているかどうかによって見分けることができます。

① 処理の深さ(Depth of Processing)
② 刺激に過敏(Overstimulation)
③ 情緒的反応(Emotional Reactivity)と共感性(Empathy)
④ 些細な違いに気づく(Sensing the Subtle)

アーロン博士によると、これらの4大特性をすべて備えている人をHSPとする、と定義しています。では、仮に四つすべて揃わなければHSPではないのでしょうか? ……博士が「定義」した意味でのHSPとしてはそのとおりです。

とても個人的な体感の話をすると、世間では、「DOES」の一つか二つあるいは三つ特徴が見られる人も自身をHSPだと呼んでいる節があります。『繊細さん』の基準に当てはまるかどうかだけを見ているとこうなるのかもしれませんし、そもそも日本人はある意味(広い意味で捉えると、特に女性は)8割型『繊細さん』でしょう。ここno+eで拝見する記事でも「私はDOESが三つしかない」と仰っている方や「私はHSPと思ってたけど単に内向型の気質だった」など、混同していたことを認めている方々もいらっしゃいます。
ただし定義がどうあろうと、自身を何者と呼ぶかは本人の自由意思によるため他者がとやかく言うべき事柄ではありません。あくまで博士が定義したHSPとは、の話をここまでしてきました。

また上の図が示すとおり、HSPと一口でいっても濃淡のグラデーションがあります。研究者たちはHSPの濃厚な要素を掘り下げて研究しているため、濃いほうに寄った特徴ばかりが並べられると、自身との差異を感じる人もいるはずです。最先端のHSP研究において博士や研究者たちが口にする、かなりスーパーでマルチな才能を持つHSP像を見聞きしていると、おや、と思うかもしれません。このような濃厚で強度のHSPに関してはもしかすると人類の中に15〜20%もいないのかもしれないですね。

環境感受性とは?

いい環境であれ、悪い環境であれ、感受性には差異がある。これは現在では「差次感受性」と呼ばれ、ジェイ・ベルスキーとマイケル・プルースによって最初に詳しい調査がなされた。
差次感受性が高い人たちは、マイケル・プルースが「環境感受性」と呼ぶものが高いということだが、これはHSPと同じくHSPスケールで測定されるため、環境感受性が強い=HSPということになる。

エレイン・アーロン

環境感受性が高い人々は30%いるそうです。このことを考えると、SPSには該当しないが環境感受性は高い方々も自身をHSPだと称していることもあるでしょう。重ねて言いますが、当記事は是非を問うためのものではありません。それでよいと思います。厳密にいえば該当せずとも同じく感受性の高い人間であることに変わりはなく、HSP研究から有益な情報をたくさん知れるはずなのです。博士もこう述べています。

平均的な社会には、二〇パーセントのHSPと、三
〇パーセントのそこそこ敏感な人びとが存在していなければならない。

エレイン・アーロン

差次感受性(Differential Susceptibility)とは?

先に示したとおり、発達科学という領域から捉えられる「環境感受性」(Environmental Sensitivity)というものがあります。環境や過去から良くも悪くも大きく影響を受けてしまう、とても敏感な感受性のことです。

この感受性を多く持っている人は、専門家の心理学者のサイト情報によると(※)、先に述べたとおり、人類全体の中で30%いるらしいのです。置かれた状況や経験から自己の内面形成に大きな影響を受けてしまう人のことです。

[★個人的推測ですが、日本人はもっといると思います。おそらく過半数の日本人が環境感受性が高いのではないでしょうか? そのせいで、世界の人種の中で日本人の気質はまるでHSPの立ち位置にあるかのように見えてしまうのではないでしょうか? また日本人は繊細な感受性を持ち、共感性が高く、独創的な感性を持っています。例えば宗教観にそれが見られることはよく知られていますよね。日本人は、他の人種が白と黒と区分けして差別や対立の構図に捉えるものを白黒を融合させて新たな灰色という世界を生み出すという、たいへん独創的で平和的な感性を持っています。想像力を社会の調和を図るために活かせるこの感受性が、HSPと共通していますね。]

❶遺伝的に、❷神経心理学的に、❸気質的に、この環境感受性の高さが測られ研究されるなか、❸の気質の研究分野において、アーロン博士が提唱した理論が「感覚処理感受性(Sensory Processing Sensitivity)」というわけなのですね。

HSPは人類の中で15〜20%いると見当がつけられています。つまり、環境感受性を高く持つ人の中の一部の人たちがHSP(highly sensitive person)です。感受性が高い人の中でも「DOES」で見分けられるSPSを持つ人のことです。

そしてこの環境感受性は、進化発達心理学の理論として「差次感受性」と呼ばれて研究が進められているようです。現時点で、HSPはこの差次感受性を多く持っている人であることが明らかになっています。アーロン博士がHSPを提唱した時期より、更に多くのことが解明されているのですね。

日本ではまだまだ研究書籍が多くはないようですが、専門的な研究家であられる心理学者(※)がおられ、ネットから情報を得ることも可能です。

(※)noteでも発信されており、前記事の中でも言及した『HSPブームの功罪を問う』の著者、飯村周平先生の本やサイトから詳細を調べることが可能です。

この「差次感受性」とはどのようなものでしょうか?

先にも示したとおり、置かれた環境により、良くも悪くも強く影響を受ける敏感な感受性のことを言います。
過去には、環境から悪い影響を受けやすいこの感受性のことを「脆弱性」と表現して、マイナス評価と共に捉えられてきましたが、現在では良い影響も同様に受けることが理解されています。専門家の心理学者によると、良い方向へ働くこの感受性のことをヴァンテージ感受性(Vantage Sensitivity)と呼ぶそうです。

「ヴァンテージ」の意味

1 有利,優越,優勢.
2 有利な位置[立場,状態],見晴らしのよい地点;有利な見方[観点]

コトバンクより

ここから考えると、差次感受性とは、本来あるべき地点から今いる地点までの距離(違い)を感じ取ることができる能力とも言えると思います。出典に行き着いていないのですが、心理カウンセラーの方々が差次感受性をそのように表現している情報発信を度々目にします。詳細はご自身でお調べくださればと思いますが、以下にこの感受性のことを個人的に実感として得ている私自身の見解を、一参考として述べておきます。

●本来あるべき地点からの差分を感じ取れる感性

例えば、家庭環境からとても悪い影響を受けている場合、もしこの悪い要素がなければ自分はどうであったか、を感知して想像できます。逆に、そこそこ恵まれている場合なら、周囲にいる自分より恵まれていない人の環境に思いを馳せて、「自分は比較的恵まれているのだ」と感じることもできるのです。(ひとは誰しも自分の労苦を誰かに知って認めてほしいと感じるものです。自分の意思や行動を社会的に高く評価してもらいたい承認欲求を持っているからです。そのため、自分の生きづらさをアピールしようと意識が働くのです。つまり自分が比較的恵まれた人間であることまでを敏感に察知してそれを公言できる人は、相当に感受性が鋭く、かつ勇気のある人だと言えます。)

また、環境には色々な要素がありますよね。家庭の経済事情が人生に色濃く影響を及ぼすことは現代科学で明らかになっています。経済事情が悪い場合もあれば、親の教育方針や態度が行き過ぎている、もしくは足りていない、などの親子関係という環境もあります。
ある人は、経済事情は人より恵まれているけれど親子関係で問題があることを察知し、またある人は親子関係の教育方針では問題がないけれどスキンシップが関わる愛情関係で自分は世間一般より不足している、などその違いを感じ取ります。

このように、本来あるべきものとの「差」が感じ取れる感受性を働かせて洞察を得る人がいます。フラットな状態から自分が居る位置までの差分とその意味するところを感じ取るのです。このような感受性が高い人は、全体的に悪い環境に置かれていてもその表だった要素の陰に潜む些細な良い影響を鋭く感知して、自己の成長に繋げることもできます。

こう見ると、差次感受性とは、置かれた環境の中で細かい差が感知できる能力ということができます。であれば、仮に恵まれていない人もこの能力を活かして、恵まれている差次感受性の薄い人より多くの学びを得、多く成長することが可能にもなるのです。敏感であるということは、悪い影響ばかりをただ受けて打ちのめされるに終わらず、このようにヴァンテージ感受性を働かせて自己を成長させる潜在的能力も備えているわけです。ですから敏感な人は、鈍感な人よりも賢明で意義ある生き方を選択する可能性が高いのです。

[★個人的な経験で恐縮ですが、私は子供時代経済事情が大変悪く、暴力のある荒れた家庭で育ちました。また親が親として機能しておらず、精神的ネグレストと同様の状況に置かれていました。しかし逆に言えば、放置されている分、過干渉による悪影響は通常の家庭より少なかったのです。これを子供の頃から感知しており、放置された自由という恵みを大いに受け止めて自身の成長に活かしてきました。自分の環境のどこが人より恵まれず、どこが恵まれているかわかっていましたので、そういった事柄を専門家に教えて貰わなくても自分を制御して導いていくことが可能でした。泥の中からでも光る小石を見つけ出す敏感性──差次感受性が高かったのだと思います。]

下の図二つを見てください。

※HSP本では差次感受性についての詳細な記述までなされておらず、これらのイラスト図解は、サイト情報による説明や図解を元に、筆者が自力で図にしたものです。

これは、縦軸を発達と適応の結果とし、横軸を経験と環境による結果と捉えてください。そして画面の縦中央線から左下がネガティヴ、右上がポジティブです。

◼️図A(これまでの理解)

高敏感性については、左下部分の脆弱性のみが注目されてきた。

図Aは、これまで敏感な人が「脆弱」であると一方的に評価されてきたことを示しています。低敏感な人よりも適応が低くネガティブ性が目立つという意味です。

また図Bを見てください。これは近年研究が進み知られるようになってきた敏感性のポジティブな面を加えた、つまり正当な評価図です。

◼️図B(近年の理解)

近年ポジティブ面も明らかになった。

経験や環境が良いものであるなら、発達と適応が、低敏感性よりもはるかに高くなることがわかります。このように、差次感受性(環境に対して高敏感性)を持つ人の全体像がいまや詳らかにされています。 敏感な人は環境から良くも、悪くも、影響を受けるという意味がわかっていただけたでしょうか? また、敏感な人は人一倍賢明に成長し発展していける可能性を秘めていることがここから伝わるでしょうか?  

HSPは、悪い環境からダメージを受けやすいと同時に、良い環境から多く影響を受けてひとより豊かに成長する能力が高い人でもあるのです。精神的に可塑性が高い人々なのです。

◆可塑性とは?◆
「可塑性」とは、固体に外力を加えて変形させ、力を取り去ってももとに戻らない性質のこと。つまり影響を強く受ける性質のこと。脳の可塑性とは、学習や訓練により影響を受けて脳のネットワークが変化すること。つまり精神的に「可塑性が高い」とは、変化しやすい性質のことを意味するので、性格や生き方を変化させる能力、その幅が大きい、ということです。

これは、敏感性ゆえの強さと精神的しなやかさであると言えないでしょうか?

今回引用はしませんが、アーロン博士の本の冒頭の最新研究を加えた追記部分では、この素晴らしいHSPの特性が観察されていることが示されていますし、本の中では敏感性を持つゆえに困難な環境のなかで自身を成長させてきたHSPの実例も記されています。

HSPと似通った性格との違い

HSPは生まれ持った「気質」
周りの丸は、それ以外の何らかの性質(性格や障害や心の状態)

当然ながら、HSPがこれら(周りを囲ってる丸)の要素や症状を持っていない、という意味ではありません。アーロン博士を始めとするHSP研究においては、これら外の丸の特質を研究しているわけではないという意味です。

「E」の回でも述べたとおり、自尊心の欠如は、年齢的若さ(経験値の低さ)や環境や成長段階によって変化するものですから、今現在自尊心が低い、自己肯定感が低い、ことを理由にHSPだと判断するのは基準が間違っています。また差次感受性により家庭環境から人一倍多く悪い影響を受けてきたせいで自己肯定感が低いのが主な理由であり、チャールズの例から考えたとおり、これがHSPの特徴なわけでは決してありません。

似通った性質:内気な性格

例えば、HSPが不安や動揺を起こしやすいのは、「O」の回で述べたように、内外からくる刺激に敏感で、内面に過度の興奮性を持つせいです。この興奮性を不安や動揺と受け止めているのです。
この敏感性による興奮の高さは、歴史上長い間「内気」や「引っ込み思案」=社会的に望ましくない性格だと誤解され、間違った評価を受けてきました。確かに外側の行動や態度から見れば、内気(=他者から嫌われやしないかと過度に気にしてしまう心の不安状態)とまったく違いませんが、HSPの場合は原因が感覚処理感受性と差次感受性にあると言えるのですね。もちろん人ですからHSPも一時的に内気が起こります。しかし重ねて言いますが、HSPにある内気と見られる不安と動揺は、敏感な感覚処理による「興奮性」です。ここを混同しないことが肝心です。

興奮と恐怖を混同しないことは重要である。恐怖は興奮を引き起こすが、喜び、好奇心、怒りなどの感情もまた興奮を生む。一方で、私たちは、半意識的思考や、曖昧な感情によって生じた軽い興奮によっても、必要以上に気持ちが高ぶってしまうことがある。そして多くの場合、私たちはその原因となったものを認識していない

実際のところ、神経を高ぶらせる方法や、興奮を感じさせる方法はいくつかあるが、それはそのときどきで、人によっても異なる。興奮は、赤面、震え、動悸、手の震え、思考力の低下、胃痛、筋肉の張り、手汗などの形で現れることが多い。(中略)当然、ストレスと興奮は密接にかかわっている。ストレスに対する反応が興奮を引き起こすのだから。

この「興奮」に気づいたら、危険を認識するために、この感情に名前をつけ、その原因を知りたくなるだろう。そして私たちはこの興奮を、恐怖から生じるものだと考える

エレイン・アーロン
※太字は筆者による

このように、内面に起こる興奮性を「恐怖」「不安」と脳が認識してしまい、世間によるマイナスの評価を鵜呑みにして自己卑下をしてしまうHSPは非常に多いのです。悲しいことですが現状、そうです。

[★私個人は幼少期、『極度の内気』だった自分を救いようのない欠陥人間だと信じていました。周囲を取り巻くもの何もかもに敏感で、それを完全に「恐怖」と捉えていたからです。とんでもない性格に生まれついたと嘆き、最早まともな社会生活ができないので人並みに夢を持つことも叶えることもできない、と真剣に考えていました。何のために人として生まれてきたのか分からないほどの、痛々しいまでの内気さに打ちのめされていました。思春期は内気を超えて、極度の「社交不安障害」でした。身体症状が次々と現れて、学校生活にも仕事にも支障をきたし毎日が精神的に過酷な試練の連続でした。……それでも何十年後になってHSPを知った頃は既に、この心の状態と性格を、差次感受性により自力で克服していたのです! 敏感ゆえに人一倍苦しみ、敏感ゆえに強力なパワーで難題を克服してきたのです。]

●ずっと自分を内気だと信じてきた人へ

アーロン博士はこの内気(シャイ)の特性について何ページも割いて強いメッセージを残してくれています。[★私は過去の経験により、ここを平静な気持ちで読むことができませんでした。アーロン博士に感謝が込み上げ泣き崩れました。]
以下に一部を抜粋するので、これを読む敏感な子供時代を送ってきたHSPの方、どうかこの機会に博士の言葉を心に浸透させてください。そしてできれば実際にそのあと書籍を手にして読まれることをお薦めします。人生観が変わると思います。

多くの人は敏感性と内気を混同している。だからこそ「あなたはシャイですね」と言われるのだ。一般的に、敏感な神経系を持って生まれてきた犬や猫や馬は「内向的」だという(ただし虐待された場合は「怯えている」というのが正しいだろう)。シャイとは、他人から好かれたり認められたりしないかもしれないという恐怖である。つまり、状況に応じた反応なのだ。

それはある種の状態であり、その人の持っている気質ではない。内気は、(たとえ慢性的でも)遺伝ではない。一方で、敏感性は遺伝である。HSPに内気の傾向が多く見られたとしても、それは必然ではないし、現に私は、内気とは程遠いHSPを大勢知っている。

もし内気だと感じることが多くても、それにはちゃんとした理由がある。過去の社会生活で(最初は過剰な刺激を受けることが多い)、他の人から間違っていると指摘されたり、彼らに煙たがられているように感じたり、自分自身が納得いく結果を出せなかったりして、失敗したと感じたのだ。あるいはすでに興奮状態に陥っていたために、何もかもうまくいかないと思い込んだのかもしれない。

エレイン・アーロン
『ずっと自分を内気だと思ってきたなら』の見出しより

博士はこの内気を作ってしまう仕組みを解説してくれています。一つか二つの失敗の経験が恐怖と不安を内面に湧き起こし、これが不安を増幅させて更なる失敗を呼び、負のスパイラルに巻き込まれていくのです。そうするうちに、これはもはや抜け出せない自分の生まれついた性格だと強く思い込むようになっていきます。やがて似た状況が起こる度にその不安が定着していき、内気な反応と行動が自分独自のパターンになってしまいます。しかし、博士ははっきりとこう述べています。

HSPは神経が興奮しやすく、こうしたパターンに陥りやすい。しかし、あなたは内気に生まれついたわけではない。敏感なだけなのだ

エレイン・アーロン

自身に対し「内気」というレッテルを貼ることの問題点は三つあります。

1・そもそも見当違いである

興奮が生じるのは、必ずしも恐怖を感じたときだけではない。興奮した状態を、自分が怯えているせいだと思うと、実際はそうではないのに内気だと思ってしまう。(中略)「内気」と呼ばれる心の状態が敏感性と混同されても不思議はない。彼らは、あなたの反応を過剰な刺激のせいだとは考えもしない。

エレイン・アーロン
※太字は筆者による。

2・「内気」という言葉のネガティヴ性

本来なら謙虚、自制心がある、思慮深い、繊細、と良く評価されてもよいのに、世間では不安、不器用、怖がり、臆病、弱虫、とみなされます。このようなネガティヴ評価を自身への正当な評価として受け入れてしまうことは大変危険なことです。

3・心理学実験により「内気」と「敏感性」は別物であることがすでに「科学的」に証明されている

◆実験から見る内気との違い◆
(特に男性に対して)極度の内気だと申告した女性グループとそうでない女性グループに対して、騒音の影響を知る実験だと偽り、それぞれ若い男性と過ごしてもらうという実験がありました。男性はどの女性が内気かを知らず、すべての女性に対し同じように接しました。
こうすると、とても面白い反応がありました。以下引用です。

「内気な」女性の何人かは、神経が高ぶっている──心拍数が上がっている──状態を、騒音のせいだと考えたことである。

結果、神経の高ぶりを騒音のせいだと考えた「内気な」女性は、内気でない女性と同じくらい男性と会話をすることができた。そして内気でない女性と同じように、会話の主導権を握る場面まで見られた。 一方で、神経の高ぶりを(騒音など)他のもののせいにできなかった内気な女性たちは、はるかに言葉数が少なく、会話の主導権も男性に握らせることが多かった。
実験終了後、どの女性が内気だったかを尋ねられた男性たちは、騒音のせいで神経が高ぶったと感じていた内気な女性と、内気でない女性との違いを見分けることができなかった。

エレイン・アーロン
『内気だという思い込み』の見出しより

つまり、内気だと申告した敏感女性たちは、興奮性を、社交性とは関係のない要因と結びつけることで、まったく恥ずかしさを感じることなくむしろ実験を楽しんだのです。
これは、私自身が個人体験として身に覚えがありすぎたため、よく理解できました。女性男性にかかわらず、これを読んでいるあなたもそのような経験がおありではないでしょうか?

つまり、これら三つの問題点から、内面の興奮性を「内気」と信じてはいけない理由がはっきりわかると思います。いかがでしたか?

似通った性質:内向的な性格

先のイラスト図を思い出してください。重なっている外側の丸の中で、もっともHSPと似通っているものが、おそらく「内向型の性格」です。まだHSPに関する知識が薄い方は、ともすれば両者の違いを明確に述べられないかもしれません。

●内向型、内向的とは?

一般的には二つの側面を持つと思いますが、ここでは三つの意味に分類してみたいと思います。

1・社交性 
●高い→外向的 ●低い→内向的
交流や活動の場で他の人と関わることを積極的に好むかどうか。

2・関心や興味を持つ分野 
●外側→外向的 ●内側→内向的
興味関心を引く分野が、スポーツや旅行や料理や健康など、身体の外側の目に見える部分にあるか、あるいは読書や芸術鑑賞や観察や研究など身体の内側にある目に見えないものが関わる分野か。

3・内省にかかる時間
●少なくて済む→外向的 ●多くかかる→内向的
一人で過ごす静かな時間と、内省にかかかる時間がどれほど多く必要か。

行動パターンとしては、1と2が重なったり、2と3が重なったりしていますが、細かく分類すればおおむねこのような違いをもって「内向的」という表現が世間で使われているかと思います。ただしほとんどの方の意識に昇るのは1か3でしょうか。

これらは置かれた環境や周りの人の影響により後天的に作られる要素であり、気質ではなく「性格」だといえます。つまり行動に現れる特定のパターンですね。

HSPは、「D」で考えたように、3の内向性を生来の気質として持っています(次の項目で詳しく考えます)。性格としては1と2の内向的要素が多く見られることがあります。しかしもちろん社交性の高い外向的なHSPがおり、身体の外側に関心が高いHSPもいます。とはいえ彼らは必ず3の内向的行動を示しているのが特徴です。
つまりHSPは気質における分類のことであり、内向型や内向的は行動に現れる性格における分類のことだと言えます。

また個人の体験談で恐縮ですが、これまで親しく接してきた身近な人に見られたパターンでこれら三つの要素があることを知りましたので、例を挙げてみます。

●Aさんは非HSPであり、1に関しては社交的なので外向型、2に関しては読書が趣味だったので内向型、3はほどほど、といった具合でした。自身を外向的な人間だと認識していました。

●Bさんは非HSPで、1は社交性がとても低く内向型、2はプロレスと野球好きで、読書や芸術には興味がなく外向型、3はあまり内省時間を必要としないため外向型、です。社交性が低い(常に単独行動を好み交流を避けがちである)ため自身のことを内向的な性格だと認識しています。

●CさんはHSPであり、1は社交的なので外向型、2は内面的な分野に研究熱心なので内向型、3はかなり多めなので内向型。自身を外向的な人間と認識しています。

1〜3まですべてが外向型、内向型、となる人なら大変わかりやすいのですが、人間の心理構造は複雑なので、行動や性格で分類すると様々なパターンが発生してしまいますね。

このように、HSPであることと、内向的な性格であることは似通ってはいても意味するところが明確に違います。

●ユングが示した意味での「内向性」

ここで、深層心理研究の第一人者である心理学者カール・ユングが捉えた「内向性」について知る必要があります。ここを理解しないとHSPを理解したとは言えないのです。なぜならHSPとは、ユングのいう「内向性」──先に示した3の内省する傾向──これを「生まれつき備えている人」のことでもあるからです。

状況や対象を理解するうえで、外側の事実と、事実に対する内面の理解のどちらがより重要か──?

ユングのいう「内向性」とは、ここの比較によるものです。先で示した1の「社交性」とは一切関係のないものです。世間一般では社交性に重きが置かれますから、このような観点で「内向性」を捉えたユングの論は、当時心理学や哲学の分野で大論争を巻き起こしたそうです。

「外向性」「内向性」これはどちらも人にとって〝必要〟なものなのですが、ユングはこう考えました。

たいていの人は息をするように内向性と外向性を交互に使い分けている。しかしなかにはその使い分けをせずに、一貫して一方のみを使う人がいる。

アーロン博士が表現したユングの見解

内向的とは、単純に外側の客観性よりも、内側の主観に向かっていることを指しています。内側の「主体となるもの」に価値を置き、とりわけ外側の「客観的な世界」の刺激から「主体」を守ろうとする働きのことです。

前の記事にも書きましたが、ユングは、内向性の重要性をこれ以上ないほど強調した人物です。

彼らは、エネルギーと興奮に満ち溢れたこの豊かで多様な世界が、外側のものだけでなく内側にもあると示す生き証人である……彼らの人生は、その言葉よりも多くのことを教えてくれる……彼らの生き方は他の可能性を、我々の文明が切実に欲する内面世界を教えてくれる。

「カール・ユングの見解」の項目より

ユングは、西洋文化を築き上げてきた人口の過半数を占める外向的な人々から、内向性が偏見を受けていることを知っていました。ですが彼らのみならず、内向的な人たちが自らを過小評価することで、世界的なこの偏見を助長しているとも感じていました。

HSPを「心が弱い人」「傷つきやすい人」「脆い感性を持つ人」とみなしているHSP当事者や、その評価を〝変わらない気質〟とした上で情報発信をしている方、このユングの見解を知ってどう考えますか?
これまで「DOES」を通して考えてきたように、HSPの内向的特質は敏感性のリーダーシップとなる、人類にとって貴重な役割を持つものです。ユングと同じ見解を持ってこそ、HSPの本質を捉えたと言えるのではないでしょうか?

「繊細さん」という概念では、主に外形的な事柄(職場や世間的立場や社会生活の目に見える部分)においてHSPが不利であることを軸にしてアドバイスがなされていますが、ユングの見解はまったく別です。そうした外面的に測られる価値で自己を評価したり生き方を決めたりする人ではなく、内側の世界こそが真の価値について多くのことを教えてくれることを知っている人──これがHSPなのです。

まとめ

「繊細さん」によるHSP像への違和感からスタートして、HSP研究書を真剣に学び、理解したことをシリーズ記事としてまとめてきました。たどり着いた結論としては、やはりアーロン博士が熱心に研究しているHSPと「繊細さん」には微妙にズレがあると思います。多くの場合、「繊細さん=HSPは社会に適合しづらく生きづらい」と一貫して語られ続けていますが(それ自体は事実です)、この社会が押し付けてくる価値観とは別に存在している真の価値観を、鋭い感受性で鮮やかに捉えられる人がHSPなのですから、「繊細さん」の理解のみでとどまって生きていくのは、真のHSPの生き方としては違うように私個人としては思います。

HSPとは、「自己肯定感の低い内向型人間」のことを指してはいません。それらの特質に与えられた新たな呼び名では決してありません。また単に「神経過敏な人」のことでもありません。
物事の本質を捉えて脳内で深く処理をし、誇りある生き方を自己の内面から探り出してゆける、思慮深さと慎重さを持つ人のことです。痛みに敏感で小さな刺激にも興奮性を持ちますが、感情が豊かに動き、共感力を活かした交流や社会貢献ができ、些細な違いにも気づいて分類や意味付けをし、繊細で奥深い人間の叡智や芸術や自然の恵みを心ゆくまで堪能できる人です。

ユングがいうとおり、際立って優れた内向的直感の特質を備えており、助言者の階級に生まれついた人々のことです。
多くの人が見落としがちな人生の宝を、高い感受性で鋭く拾い上げ、世界の美しさを誰より鮮明に捉え、良心の高さと誠実さを土台に内面に独自の価値観を築き、感性豊かに生きられる、どこまでも創造的な人々のことだと、これを書いた私自身は信じています。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。もしあなたがHSPならば、(1)〜(6)までを読まれて、「次に生まれてきてもやっぱりHSPがいい!」と感じられたかもしれません。あるいは、「今は苦しいけれど必ず解放されたHSPになる!」と自身の内面性を探求する決意を新たにされたかもしれません。HSPの、他にはない素晴らしい魅力について、今後も共に紐解けてゆけたら嬉しく思います。

少々のお詫びですが、今後書くことを予定していたHSPの四つの才能やHSS型HSPに関する記事については、「解説」という形を取らず、もっと自由な形式の文章で表してゆきたいと考えています。題名に「HSP」をつけますのでその機会には、またお目通しいただけると幸いです。

ここまでお読みいただけたことに感謝を申し上げます。