最近の、積極的分離理論に関する「つぶやき」をここにまとめておこうと思う。
── 激しい創造性は諸刃の剣 ──
警告:
「私は幸せになるために生きている」──これ以外に生きる意味がとんと見当たらない方は、私の記事を積極的に読むことをおすすめいたしません。
どうぞご無理をなさらず、自身の「幸せ」を求めて生きてください。それは誰からも奪われてはならない、あなただけの権利、あなたらしい大切な生き方です……!
あなたは存在しているだけで素晴らしいのです……!!
精神の不安定さ:

不安や痛みをむやみに取り去ろうとしてはいけない。
発達の可能性を持つ人にとってうつ状態にあるのは相応しいことである。そのうつを外側から取り去ることは退行させることになるやもしれず、教えや導きは鎮痛剤を打つことに該当するかもしれない。
退行すべき人と進むべき人の見極めは難しいが、経験者には幾らかその人の痛みの種類が感知できる。痛みにはそもそも上質なものと下等なものが存在し、これの分かれ目はどこにあるかと言えば「利己」と「利他」だと考える。
その人は共感力が平均より遥かに高く利他的な生き方を強く望む人だろうか。その人は何らかの才能を持ち、他者に役立つ何かのためにその能力を活用したいと望んでいる人だろうか。ならばその人のうつは発達の可能性を秘めている可能性が高い。
実存的うつ:

実存的うつには、少なくとも四種類のうつ(実存危機)がある。私は下記アカウントの方の発信よりこのうつを改めて熟考、熟慮する機会を得たが、若い頃からこれに種類があることを体験で感じておりここに書いている。↓
突き詰めると実存的うつ、実存的苦悩の種類は、死、命の無意味さ、自由、孤独。詳細の解説は改めてする予定。細かく分類すれば他にも様々な言葉で言い表すことができる。
なお、実存的うつについて関心が高い方は以下のno+erさまの発信内容に注目されてください。人格形成と関連付けて実存的うつを日本語で直接的に解説されている記事は日本にはほとんどないと思われるため、大変貴重な発信をしてくださっています。アカウント↓
TPDは、幼い頃からこのうつを抱えている人に深く関連するが、成長して環境の変化による経験を通して否応なく激突する人も当然いる。あるいは自ら起こすディープな内部処理により、このうつを経験する人もいる。その場合もこの理論が関連してくる。つまり、最後の段階へいくにはこうした様々な種類の実存的うつ、実存的危機を体験することになるはずなのだ。なぜなら、実存の葛藤をすべて完全に無くすというなら、それらすべてと対峙しこれを超越しなければ、到達は成し遂げられないでしょう。トリガーとなる環境や思考は突然やってくるかもしれない。
一例を挙げると、その人は愛する者の早すぎる死に直面し激しい心の痛みを経験する。命の無意味さに対して(その意味を探る長く苦しい旅の果てに自分なりの)答えを確立している。それは暖かな部屋で机に向かって論理のみで出した答えなどではない。痛みの中意識的欲動により既存の価値観を崩壊させて得た新たな倫理、自律心が創る感情的平安だ。うつは他にも色々ある。これらの苦しみの種類をすべて体験している、体験してしまう人、のことだ。
──なぜそう言えるのか?
分離するには、耐え難い苦しみを伴う疑問に真剣に向き合う必要があり、実存危機から「完全に」解放されるということは、つまり、もう向き合うべき実存危機がどこにもないことを意味するはずだから。
実存的うつの意味が掴めない人がいう「積極的分離」の話は、おそらくレベル1から2の間に起こる葛藤と受容のプロセス、つまり分離と退行(これもむろん「統合」である)のことを指していると思われる。因みにこれも相当に苦しみの体験である。
実存痛みへの真摯さ(激しい共感性):

実存的うつや危機をもっとも熱心に研究されてるのはgiftedである。彼らの脳は、社会の複雑な要素を理解し、現実を直視し、本質の追求(構造への理解や解釈)のみならず、そこに存在する実存の恐怖や苦痛のクオリアを細部まで深く感じ取っている。HSPシリーズで述べたように、深い内部処理、刺激に対する敏感さと興奮性、共感的情動の強さ、複雑で多様に成り立つ世界の些細な点への鋭い気づき、これらのレベルが非常に高いのである。HSPならその意味がわかるだろう。それゆえに、単に個人の幸福や安寧を求めるにとどまらず、命の意味や生き方においてどこまでも真摯なのである。
関わるラベル:

最終的に辿り着く場所は、揺るぎないビジョンが見える場所であり、彼らは人類にとって善き方向を指し示す何らかの表現におのずと身を投じており、完全なるビジョナリーとして生きている。それは言葉や態度で直接表現しているか、あるいは芸術作品やパフォーマンスなどの分野で表現しているか、願いや祈りによって体現しているか、人によって違うと思われるが、共通点は自身の生き方にもう何も迷いがないこと、他者からの不理解や批判を何一つ気にしないことである。罵られ、恨まれ、笑われることに対して痛くも痒くもない。

暴風はとこしえに止んだのである。
ただし、外面世界と身体との適合問題や、外側の行動を社会の要求と擦り合わせる問題は相変わらず大変であるに違いない。実存的解放とは、倫理と道徳における自分らしい生き方の完全解放のことなので、脳の仕組みと身体そのものが天国のような場所に昇華してしまうわけではない。とはいえ我欲が完全に消えるため、まるで人間ではないような感覚を覚えてしまうかもしれない。……この点は、no+eクリエイターAmelieさまから如実に伝わってきますね。この理論に関心が高い方は、ぜひAmelieさんのフォローをされてみてください。私はAmelieさんの気持ちや言葉に触れているとき、一片の抵抗感もない、どこまでも透明な水の中を泳いでいくようなとても不思議な感覚に陥ります。果てしなくその水は澄んでおり完全自由を擬似体験できる、他では得られない独特な体験です。↓
https://note.com/kalmiamelie/n/n8dea55040247

歴史の中で目立つ人物を挙げるとこうなるのだろう。
(下記の動画もご覧ください。)
マルチレベルで二次統合する人は、「不屈」という言葉がよく似合う。心の状態は究極的に凪いでいる。涅槃寂静に近い、とAmelieさんは仰っている。仏教的に表現すると悟りの境地、諸行無常、諸法無我を完全受容した境地と言えるのだろうか。いずれにしても精神の過酷な苦闘を通過していることだけは確か。到達したあとの感じ方はもうこれまでとは別世界なのである。
到達しない人たちは良くも悪くも『人間らしく』生きている^ ^
例えば、私たちが小説を読んでドラマを見て演劇を観覧して、そこに生々しく描かれるルサンチマン(!)に感情が揺さぶられたり、つい感情移入してしまうのは、良くも悪くも人間らしいからなのである。苦しみや葛藤は人間らしさそのものでもあるのだ……!
終わり。
おしゃべり:
理想を抱くものは、痛みと不安から逃れらない。
理想を掲げるものは、常に不理解と批判に直面する。
勇気が必要だ。

no+e界隈で、実存的苦悩や人類の理想という視点抜きにこの理論を考察している方も一部いらっしゃるように思えたため、以下の動画を観ていただきたい。これはたしか、飼いならしたキツネさまからの情報だったはず。関心ある皆さまがすでに観ているはず。
私はいつも、
真実を訴えたばかりに殺されゆく人間の叫びが、
勇気を発揮したために炎で身を焼かれる人の叫びが、ちゃんと聞こえる場所にいたい。
人の世に現実に存在する誰かの究極の感情と真実の痛みを忘れた「幸せ」には興味がない。

↓先回とは別のこんな図解を作りました。
いずれ詳しく解説します。
TPDは悩み苦しむ高感受性人間、高敏感性人間にとって「光」です。しかし彼ら以外の人類には一向に理解してもらえず人気もありません。

『健康状態へ戻りましょうよ!』付近の情報です。
これとほぼ同時に大洋感情シリーズ(2)を投稿します。……わたくし、文章を書き過ぎなのは重々承知しております💦 こんなに沢山記事を書いてしまい誠に申し訳ありません!🙇♀️🙇♀️🙇♀️
読んで下さる方は、慌てず、ゆっくり、少しずつ、見てください。記事はどこへも逃げませんから。
I sincerely support and respect your courageous actions. Thank you for taking the time to read this article.
Neco Minada
