先回の投稿で私は「野心」なんて言葉を使っていたなんて驚き。一つのことを決めてもすぐに別のアイデアを思いつくから大抵は実行まで至らず終わるのだけど、案の定、心理カウンセラーの資格を取るなんていう目的は早々に砕けている。なぜかというと、やはり民間で受ける心理学の資格に一体どれほどの価値があるかという疑問が詳しい資料を見てもやっぱり拭えなかったことと、それよりは独学で認定心理士の模擬試験的な公式テストに合格することのほうがよほど中身のある資格だと知ってしまったことによる。大金をかけて民間の資格を取るには及ばない、これが結論になった。当面の目的は「HSP学びの会」の開催をして、そのためのベースとなる記事をNoteにアップしていくこと。
ところで。ここ数ヶ月というもの私は恐ろしい苦悩(実存的うつ)を抱えて過ごしてきたのだけども、いまようやく落ち着いた日々に戻ってこられた。今回感じたうつは、強い感情的結びつきや意味付けを欲するのに実生活でそれが叶わぬことが解るゆえの苦しみであり、本当の自分というものを私は生涯誰にも知ってもらえないことが解る恐ろしい孤独であった。根底には命の短さ、私という存在自体の無力感と虚しさがある。この苦しみを昇華へと向かわせた背景には、自身の内部で生み出した新たな勇気の軸がある。きっかけがあった。それは宇宙の壮大なる時間を思いみたことだ。以下の動画に感謝している。記念なのでここにあげておく。
これを見て私は、一瞬と永遠を(命の重みと無意味さを)自分の心に同じ価値であるとして受容するための鍵を発見したように思う。とてつもなく孤独な自分の中だけの精神の飛躍だけれど、これは貴重な経験である。ここに来るまで、私は自然界と自分の精神との「実感のある繋がり」を感じてきたからこそできた魂の昇華だ。この実感がない人には、なんのことだかさっぱりかと思う。
先日、同じ「実存的うつ」を抱えている(遠い地に住んでいるらしき)ギフテッドの方とオンラインで繋がり会話する機会を持てた。その方が私の書いた「実存的うつ」の記事を読んでコンタクトを取ってくれたから。それはかけがえのない経験であり、心強い出会いだった。私以外でこの苦しみと向き合う人を初めて見た。そしてその方の説明のお陰で、積極的分離において私の頭の中でもつれていた糸がきれいに解け、自分がどの段階にいるのかもはっきり感じ取り理解することができた。それは私が感じていた段階が間違いでなかったことを意味していた。・・・つくづく、これほど自分と他人との精神的距離を感じるのも無理のないことだと思い知った。誤解を恐れず素直な気もちをここに書くけれど、私は世間のあらゆるものが小さく幼く感じてしまう。身近にいる人の日々の暮らし方や考え方、投稿された記事から垣間見えるその人の思考や世界観。何もかもが小さく若く見えてしまう。もう何十年も前(小さな頃や若い頃)に私が答えを出して実行してきたことを、大抵の同年代の人は今熱心に考えたり答えを見つけようと悩んでいる。そして大抵の人は、私が上段階へ往くために行き当たった疑問や酷な試練には向かわない道を選択しようとしているのが伝わってくる。そもそもその道を発見できないのだ。だから、誰かと会話をしたりやり取りをするときは、相手の考え方や思いに意識を合わせて交流をする。楽しくはあるけれど、本当の意味での刺激はほぼないに等しい。この人にはこのことが見えていないんだな、この人にはまだこの観点は早すぎるのだろうな、この人は過酷な道を見ることもなく一生を終えるのだろうな、などと意識の奥で感じながら交流をする。大人と接していてもどこか年齢が若い人と会話をしている時のような感覚が頭の隅にある。本当の刺激が得られるのは現在Noteで言葉を交わす人々の中に少しいる。
私には敏感性による「感覚知性」が子供の頃からよく生まれ(それは想像力や直感力や共感力や鋭い倫理観や俯瞰力や創造性のこと)、また過酷な環境のせいで両極端へ感情が強く動いてきたことも手伝って、人間としての「感情の旅」を人より多くしてきたゆえの「気づき」も多いのだと思う。(人間は、感情が動かないと成長ができないし、痛みを感じてそれを乗り越えないと人格が高くならない。)そして社会の一般的価値観に収まって生きることへの疑問と、孤独と、死の恐怖に真っ向から対峙することで作り出してきたたくさんのオリジナルな「勇気」と「自分軸」がある。それが私を成長させてきてくれたのだと思う。
先日心理テスト(IQテスト含む)というものを受けてみた。うちは父も母も弟も妹も標準ではない人間ばかりなので──弟は強度ADHDだったし妹はアスペルガーだ──一時期双極性障害の疑いを持ってた私自身の頭の凸凹を探ってみたかったから。実存的うつと向き合っている最中焼け付くような頭で行ったけど、ミス回答をしながらも一応こなし終えて結果が出た。わかってはいたけれど、発達障害に該当する凸凹は皆無だと判明した。言語能力が高い割に処理速度が遅いのが特徴的だと言われた。平均値より高めのIQだったが高IQに該当する値ではない。見当付けていた範囲に収まっていたのでそこは納得感しかなかった。
それにしても心理テストの評価文というものが実に笑える。私の創造的本能が外側からはこんなふうに見えているのかって。細かく複雑な絵を見て「自己顕示欲が高い」「完璧主義の傾向がある」だって。これでも「ざっと」「テキトーに」描いたというのに、勘違いもいいとこだ。本当にこのようなテストの不完全さや器量の小ささを思わざるを得なかった。でもまあそこは最初からわかっていたからそれなりに楽しんだ。担当医が「正直こんな絵は見たことがない」と唯一人間味ある言葉を言ってくれたその瞬間だけ妙な充実感を覚えた。
私は、ギフテッドの方々と通じるものを少しだけ持っているけれど、あくまでHSS型HSPである。かといって同じHSS型HSPのなかに、私のように実存的うつや積極的分離を経験する人が多くいるとも思えない。少なくとも日本にはあまりいないように思うし、いても見つけるのは至難の業ではないか。私はどこまで行っても何かと何かの境界にしか居られない人間なのだと思う。
