大洋感情を持つ人間(3)─ 怒りは悪に向く(子供時代との別れ)

大洋感情を持つ人間(3)─ 怒りは悪に向く(子供時代との別れ)

2024年10月23日

先回↓

大洋感情を持つ人間(2)─ 利他心は方位磁石の針
先回の記事↓ https://qureco.me/ocanicfeeling-1/ 今回から、大洋感情の全容を知っていただくために私自身の過去の経験を引き合いに…
qureco.me

生まれつき標準より強く利他的な方向に動いてしまう心(方位磁石の針)が存在していることを感知していたという話でした。それはごく自然なことで、しんどいことではなく自分らしいことだったという話。


今回も先回と同様、過去の細かい記憶が全体的に薄い私の(おそらく頭を殴られ続けたせい?)鮮明に強烈に残っている記憶の一部であり、子供の頃の生々しい体験話でもあります。
人によってはセンシティブな表現、重たいと感じる部分があると思います。今後書く過去エピソードも同様にその種の表現があります。トラウマを誘発するかもしれないため予めご留意ください。場合によっては退避してください。

なお、「利他心」や「赦し」などのワードは一見聞こえはいいものの、どんな状況でも絶対的善となると言いたいわけでも、誰かに押し付ける意図を持つものでもありません。自身の社会不適応性は自覚しています。そして今回かなりくどくどしい感情のこもった文章なので、嫌気がさす方もいらっしゃるかと。その点を前もってお断りします。
以下、常体で書いてます。


大洋感情と怒りの関係

怒り(いかり、英: anger)とは、人間の原初的な感情のひとつで、様々な要因・理由で起きるもの。例えば目的を達成できない時、自分の思い通りにならない時、身体を傷つけられた時、侮辱された時などに起きるものである。憤り(いきどおり)とも言う。特に激しい怒りは憤怒(ふんぬ。忿怒とも)と言われる。用言、動詞的な表現としては「腹を立てる」「立腹」「カッとなる」「頭に来る」とも。また、一部の動物(イヌ、ネコなどの哺乳類、鳥類、その他)も怒りの感情を持つ。

トコバンク

怒りとはつまり、誰かに対して態度や言葉で強く責め立てようとする感情のことだと言えると思うが、私には自己の権利や欲求が侵されることへの「怒り」というものが子供の頃から非常に少なかった。厳密にいうと、持続性のある他者への怒りがほぼない。
先の記事に書いたとおり、子供の頃から利己心や利己的欲求みたいなものが大部分欠落していることが元としては大きい。態度に表れることのない内面にある「怒り」の感情に一番近いものといえば、それは善良な人間の権利や尊厳を平気で奪う人間の自己中心的感情や強欲による悪の行為に対するもの。だから人の世に向くこの強烈な怒りは、日常的には「憂い」となって常に存在している。

過去エピソード③小学生時代
「怒り」に向き合う

小学生の頃(三年生頃からのこと)を振り返ろう。
こんな私が、特定の人物に対し、強烈な怒りを感じた記憶がある。憤怒と言える怒り。それは母親に暴力を振るい続ける弟に対してだった。暴力とはその名の通り、単なる反抗ではなく相手を身体的に叩きのめし、踏みにじる行為のこと。暴力手段としては腕や足だけでなく刃物や鈍器も登場する。この、弱い相手に向けられた暴力行為というものへの怒りは私の中でとても激しく、抑えがたいものだった。
こんな人間が血のつながった家族である人生を思うとき将来には暗雲が立ち込めているとしか思えなかった。家族である限り逃れられないから。私自身がまだ子供だったから。解決策はどこにもないように思え絶望感に襲われた。暴力が存在し続ける家庭で、私は生きるか、死ぬか、の問題に向き合わねばならなかった。

毎日続く暴力行為に対し怒りは内面で燃え上がった。「何とかしなければ」「弟を殺して私も死のう」「そして母と妹を救う」という思考に繋がった。私が犯罪者になれば家族は救われる、だからこの怒りを爆発させよう、という発想だ。つまり平穏な日々を願う心と、母と妹への強い愛情の裏返しが、私にとっての「怒り」だった。逆にいえば平穏な日々への愛着や母と妹への愛情がなければ怒りは起きなかった。怒り。そこには、私自身の平穏を掻き乱す身勝手な行動への憤怒ももちろん含まれている。これは人として当然の本能的欲求だ。私は繊細気質かつ小さな子供だったし落ち着ける居場所は最低限普通に欲しかった。

この「怒り」はどうなったか?

記憶では、強烈な感情が生まれた日からしばらく持続したかと思う。メラメラと胸の中で炎が燃え盛っていたのを覚えている。平和に暮らしたいという願いは強烈だったからだ。私だけでなく、心優しい母親や幼い妹の平穏な生活を何としても守りたかったからだ。だから問題の根源を断つ具体的な方法まで頭の中でシミュレーションして覚悟を作るところまでいった。殺す、か、死ぬ、だ。……せっかく人間として生まれてきたのにもう人生を終えねばならない不遇なわが身を悲しく思った。できるなら普通の暮らしがしたかった。もっと生きたかった。人の身体を傷つける目的で使うこんな恐ろしい刃物など目にしたくなかった。優しくて美しいものに沢山触れて堪能して絵を描いてきれいな景色を存分に見て人生を楽しみたかった。
相手を殺す、自分を殺す、どちらにしろそれは大変なことに思えた。具体的な話をすれば、私は性格上相手より自分を殺す方がましに思えたが、母と妹のことを思うとそれは自分だけ助かる身勝手な行為に感じた。ストレス過多の日々はピークを迎えていた。これ以上苦悩を抱え続けて毎日を過ごすのはとても苦しかった。金属バットで親が子供に殴り殺されるような事件の存在も知っていた。わが家がニュースにのぼる事になる想像は容易にできた。母が殺される前になんとかしなければならない。それだけが目の前に置かれた課題だ。
しかしその両方とも爆発させることはなかった。理由は以前の記事『自己探求』①〜③で書いたとおり。悶絶する苦悩の中でも私にはなんとか未来の明るいビジョンを描ける能力があり生を終えるにはプラスの可能性を探る想像力もありすぎた。地球上の美しい風景をたくさん見たい! 色んなことを知りたい! という強烈な欲求が私を支えた。苦しくても笑って生きようとする少女のロールモデルがいたので、それが私の理想だったので、その生き方を見倣って私も踏ん張れる、私もその境地まで行ける、と自分で自分を何度も励ました。これほど辛く重い感情を経験した私には他の人が見えない道が見えるのだから大丈夫という、理屈ではうまく説明できない独特な感覚がもげそうな心を支えてくれた。
本当にもう毎日続く暴力に耐え切れず死んだ方が楽だと心底思えたのだけれどしなかった。以前も書いたとおり直接な暴力を受けるときは想像力でその場を乗り切った。

また、暴力がなぜ良くないかを、私は母親にとって代わり弟に教えるようにした。

しかしこれをしたために余計に殴られた。
ある意味母親への怒りと悲しみを弟は私に方向転換して強くぶつけるようになった。──この時私は相手に冷静にこんなことを話したのを覚えている。あなたにとって怒りの反応の元となった行為、相手の元々の「動機」を考えてみなさい。そこに悪意や、相手を傷つけたり貶めたりする意図はなかったはず。むしろ良かれと思って行ったという優しい動機が見えるでしょう? このように相手の心の中を覗いてみることで相手への怒りは抑えられるはずだ、と。母は心の中に優しい愛情しか持っていない人だ、そんな人間のことを好き好んで殴るのか? そんな相手に刃物を向けるのか? その必要がどこにあるのか、それは愚かで身勝手な行為ではないか、と。相手の心の中にある動機に冷静に目を向けてみれば、怒りを抱くこともぶつけることも筋違いだとわかるのではないか? そんな理屈を根気よく何度も何度も話してきかせた。途中殴られたり蹴られたりしながら。本当に必死だった。本来これは親の役割だと思う。

ここで弟の性格や特徴を書いておく。本を読んで後から見当をつけたが、弟は強度の注意欠陥多動性障害(ADHD)かつ重度の反抗挑戦性障害(ODD)だったと思う。反社会性の刺激追求性(HSS)もある。とにかく異常だった。極端に短気で図体のデカい小学生だった。一方、友達は多くいつもひょうきんで笑いをとる明るい性格でもあった。何でもやりたがりあらゆる所へ行きたがり少しも落ち着いていられない。小学中〜高学年からその後もずっと、友達仲間の間で恐れられるリーダー(いわゆるジャイアン気質)であると同時に「とにかく面白い奴」「なんか凄いやつ」として人気者でもあった。
地味で大人しく引っ込み思案な私とは何もかもが真逆。私と弟が並べは大抵の人は弟の方に魅力を感じたはず。活発で明るくて物おじしない。誰かと会った瞬間にジョークを言って相手を笑わせ親しくなってしまう。後には不良グループの中でカリスマ的リーダーであるようだった。子分みたいな存在をいつも従えていたし慕われてもいた。わが家には夜毎ぞろぞろとおっかない人間たちが出入りした。シンナーの臭いが立ち込めドクロやら鎖やら爆音やらが部屋に充満していた。弟は態度も声も大きく眼力も鋭く威圧感を放ち名が知られてたこともあり学校や町中でも恐れられていた。私のクラスメイトだけでなく学年ほとんどに名前が知れ渡っているという、目立ちたくない私にとっては苦痛となるだけの、存在感の強い有名な子供だった。

私の説得はしかし、弟には伝わらなかった。最初は耳を傾けて反省した様子を見せたが、またすぐに母親の一挙手一投足に腹を立てるようになり、結局私の努力は功を奏さなかった。弟とは、心の中にあるものが何もかも違っていた。弟は「自分が」快か不快か、が他者と関わるとき重要なのだ。相手への評価は、自分にとって良いか悪いか、を基準とする。私はまるで逆で自分よりも「相手が」快か不快かが何より重要だ。もちろん自分のことは誰より好きだ。(自信家ではなくても好きは好きなのだ。むしろ自意識が強いぶん自己愛は強かった。)だけど他者と関わるとき気になるのは相手が嫌な思いをしていないか、そこに一番気がかりがある。相手の心地よさのためなら自分が犠牲を払うことはあまり気にしない。

後に自己評価をして思ったことだが、この性質は社会適合性としてはバランスを崩している。だから自分は「過度のお人好し」という自覚があったし、多くの人に「理性的な判断ができない頭の弱い人」と見なされることもちゃんと自覚していた。

話を戻す。……だから、私の訴えは擦りもしなかった。これほど説得しても伝わらないのは互いに心の根っこ部分にあるものが違うからだと悟った。そうか、人間の心というものはこれほどに違いがあるものなのか。人の心に一番大きな違いを作るものは、つまり利己か利他か、の軸なんだなと私は思った。(当時の言葉では自分が大事か相手が大事か、と表現していた。小一の時感知した生まれつきの感覚「方位磁石の針」と照らしてみた。人の心にある一番大きな違いとなるこれについて何度も思い巡らした。)

私は怒りを行動で表すことがほとんどできない。ひどい暴力を毎日目の前で繰り返され、自分も殴られ蹴られ髪を引っ張られ引き摺り回され(この頃ストレス過多により数々の身体症状が出ていた。いつも病院で自律神経失調症と診断され神経症の症状が次々に出ていた。これはこれで厄介極まりなかった。)、日常的に存在する苦痛に対し感情が掻き乱されたから、母親がついに刃物で刺されそうになった時は「もう限界だ!」と目の前が真っ暗になった。力づくで包丁を受け止めて抵抗した。私自身が死んでしまえば苦痛は終わるけど、母と妹を救わなければならなかった。だから弟の暴力を制するのは私の役目であり私に課された責任だった。相手の目の前で自分を刺して死んであとで恨んで出てやろうか、と思った強烈な感情を今でも覚えている。あの時の怒りはひどかった。

それでも復讐心に燃えて行動することは私の性にあっていなかった。生まれつき存在してるその「何か」が、それは違うと勝手に答えを出してくれ、私をまったく別の方向へ向かわせた。私の中に次に起こった感情は「怒り」とは真逆の「赦し」だった。

「怒り」は「赦し」に変換される

「赦し」といえば人格者の特徴や道徳的な行為として受け止められたりする。子供の頃なら友達同士のやりとりや小さな場面で大人から促される場面もあると思う。でも、そういう誰かにしなさいと言われたもの、しなければならない、とは全然違っている。させられている感覚などではない。それは生まれつき備わっている善良さを愛する気持ちからくる。これはどうしようもなく自分の中に強く存在していて常に心で赤々と燃えていた。
宮沢賢治が物語の中で書いている、動物と人間のどうしようもない一番の違いとは何か? 子供の頃から自分の中にそれを強く感じ取っていた。「それ」が私から強烈な「怒り」を取り除き「赦し」に変換しようと強く働いた。

これは大洋感情を持つ人間の大きな特徴だと思う。共感の対象はあらゆるものに対してなので、状況によっては自分を痛めつける者にも大いに働く。

万物は愛されて存在するべき

なぜそのようになるか、については共感力以外にも理由がある。それは相手の心の中が何もかも見えているということだ。相手と相手に関わる人物たちとの相関関係、力関係、みたいなものが私にはくっきり見えていた。これは状況を丸ごと受け止められた背景にある、かなり大きな要因だと思う。

弟の「怒り」の裏にあるのは「悲しさ」だと思った。母親から愛して貰えない、問題行動ばかりな自分に対し全力でぶつかってきてくれない大人への苛立ちなのだと思った。愛してほしいだけなのだ。私にはそれがはっきり感じられた。だから私から見て暴力魔の弟は、大人から救われるべき可哀想な存在でもあったのだ。
自分が全身にアザを作りながらも私はこの人間を未熟で哀れな子供にすぎないと感じたゆえに赦したかったのだ。私は神さまに必死に祈った。私と弟と母を助けてください、と。

母は暴力を恐れて私を悪者に仕立てたこともあった。そんな母のことも人間としてとても哀れに思えた。(そのときも、ここで普通の子供なら怒ったり親を責めたりするのだろうな、と冷静に受け止めていた。)
だからそんな母親に、なぜ弟がここまで荒れるのかについて、私はこんこんと気長に説明してあげた。……親というものは、そんな子供にどうやって接してあげるべきか。その仕組みや大事さについて母親に分かるよう必死に説明してやった。弟の気持ちをすべて代弁して。しかし母親は人の行動の背後に働く心理の仕組み、理屈を読み取れない人間だった。エンパシーは強いのにメンタライジングができない。心底気の優しい善良な人だが頭の回転が鈍い。いや、後にわかったことだが母は精神年齢が二十(はたち)で止まっている人だった。この家庭内暴力が存在する環境のなか、背後にある理屈をきちんと理解しているのは、つまり私だけだった。

二階に住んでいた祖父母も、庭を挟んで住んでいた叔母の家族も、ただただ弟のことを悪く言うばかり。また、自分の子を御し得ない母親のことを責める。そんな大人の表面的な言動が私は本当につらかった。
親子二人の間にある力バランスが上手くいっていない本当の本当の理由を誰も見抜けていなかった。私には見えるのに。見えても無力だからどうにもならなかったが。

この時点で私は、精神的に頼れる、また私に何かを上の立場から教えてくれる真の「大人」というものが自分の周りにただの一人もいない現実を強く自覚した。私自身が誰よりも大人なのだと感じざるを得なかった。途方もない責任がのしかかる自由という恐怖だ。
自分に暴力を振るい続け、安心できる場所と時間を奪い、無理難題ばかり要求し気に入らなかったら好き放題に殴ってくる。そんな相手を「可哀想な子供」と見ていた私にあったのは「怒り」ではなく「憐れみ」、「憐れみ」と共にある「人間の命への愛情」であり、また、いくら図体が並外れて大きく力が強いとはいえ一人の子供の態度を制御できない弱々しい大人だらけな環境へのどうしようもない「憂い」だった。だから泣きながら、全てを赦せる人間になれるよう神にひた祈り、それを成し遂げられる自分の力を信じて、精神を大人に換える決意をした。

怒りを赦しに変換できたのはなぜか。とても苦しかったけど前も書いたとおり容易なことでもあった。自分には何か大きな盾となる力の支えがあるのを感じとっていたし、その力を感じたゆえに自分が自分の親となり、気の弱い母と妹を私が精神的な親となって守りぬき率いていくとの意志を固められた。弟の暴力の背後にある意味を理解した、子供としての自然な欲求とはっきり決別をした、この小学生の日、私の精神年齢は一段階上がったと思う。

世間とのズレ

安心して過ごせる場所、親から保護してもらうこと、ごく普通の日常を送りたいそんな人として当然の願い、当然欲して良い権利、それが引き裂かれ死の選択までを真剣に考え、強烈な苦悩を覚え、普通に子供が要求していいはずのものが全て脅かされたわけだが、激しい苦悶の末、私はそれらをすべて受容し受け止める器を作ることに成功した。そして希望を見失わなかった。
社会的にはひどく弱い子供だったが、この心の器を作るという面では世間の他の子供より強いという自覚を持っていた。それを可能にしてくれるパワーを自分の中に感じていた。だから平穏な暮らしをしている、少なくとも身の安全が保証され、遊びや勉強ができ、自分のスペースや時間が確保されている同年代の子供たちに対して一瞬たりとも「羨ましい」と思わなかったのだ。

小さな悩みに思えた

友達同士のいざこざ、誰それにこんなことを言われた、こんなことをされた、ひどい、嫌い、腹立つ、歯痒い、許せない、……時に、そんなことをよく話す同い年の子たちの悩みは、私には正直、本当に本当に小さく思えた。生死まで真剣に考えたあの強い感情に比べたら皆が持っている悩みはなんて小さいのかと。
私は暴力人間を赦し許容して前を向いたのに、友達やクラスメイトはなんて些細なことでいがみ合ったり貶しあったりしてるのだろう。死ぬ思いをしたことのない子供たちは、本当に小さな悩みばかり抱えて毎日を生きている。

妬みや嫉みを表に表さない人だってそうだ。普段優しいクラスメイトや同年代の子らも、生まれつきや家庭事情のせいでおかしな行動をとってしまう人のことを時々嘲笑う。顔面チック症や円形脱毛症や赤面症や場面緘黙症や吃音症や……そんなものの背景に家庭環境の悪さが影響していることを子供というものは見抜けないらしい。例え嘲笑わなくても心の中では冷たく見下しているし、自分はそうでなくてよかった、なんて他人事としてとらえている。自分は彼らと違うことを確認して安心感でいっぱいになっている。虐めに苦しむ人間に対してもただ傍観している。子供なんて、あくまで自分のことだけが可愛い小さな生き物なんだな、そして残酷な生き物だな、とよく思った。
そして同時に、自分が誰かから困らされたわけではないけれど、自分が虐められたり障害を持ってるわけではないけれど、私の心は常にそういう人たちと共にあり、いつも立場の弱い人たちに気持ちが強く寄り添っているのを感じていた。不遇な人の痛みは常に私自身の痛みとして感じていた。
死ぬ思いをしたことがない人ほど自分こそが誰より苦しいと勘違いしている。みながみな自分、自分、自分ばかり。気づかれずに叫んでいる人の声など聞こうともしない。みな自分だけが可愛いのだ。大人も子供も心が小さい。人間とはほんとうに小さな生き物だ。人間社会という世界はとてもとても小さい。( ──これは私の『感覚』に近い感情であり、実生活の対処においては私はとても未熟な子供であった。身体と心のバランス調整と思考の整理をしながら皆と同じように成長していかねばならなかった。この『小さい』『みなが自分ばかり』という感覚は魂レベルの話なんだと最近得た知識により捉えている。社会生活での実際的な成長段階とはまた違うところにある、もっと意識の深い深い部分にある心である。それを、いま『大洋感情』という言葉を借りて説明しているところだ。)

私は友達関係の中で怒りを表すことも、怒りを抑え込むこともどっちもなかった。あの小学生の時から私には自分の権利が奪われることへの「怒り」がない。少しのあいだ激しく燃えたあの強烈な「怒り」にはとうの昔にサヨナラしているから他の問題なんか訳もない話だ。ただ、外側の私は皆と同じでいたくもあり、言葉や態度や行動を他の子たちに合わせることは多かったと思う。

自分の権利と他者の権利

アンガーマネージメント、抑圧された怒り、世間で聞くほとんどの怒りのコントロールの話は自分の当然の権利を害されたことへの怒りだ。基準は自分、だ。他者と関わる社会生活において、自分が蔑ろにされたり、辱められたり、低められたことへの怒りだ。態度に表さない人もそれを長く内面に抱え込んでしまう場合はやはり自分を大切にする視点からきている。
私だってとんでもなく害されたら一瞬は強く怒るかもしれない。感情があるから。でもその怒りはすぐに赦しや相手への憐れみに変換されていく。相手が怒ってもその怒りの裏に悲しみがあるのが見えるし愛情不足があるのも見える。怒りを私にぶつけることで相手が利を得ているのならそれでいいとも思う。私が多少犠牲になって相手が得をするならそれの方がずっといい。怒る人は弱い人であり、自分の権利や欲求を護りたくて仕方ない小さくて可哀そうな人なのだ。
私に起こる怒りは、人間の歴史や世界に対するものだ。善良な人を殺してきた人間の邪悪さに対するもの。それを見ながら知りながら無言や傍観を貫く社会、全能でありながら窮地に陥る人間に一切助けを差し伸べない神に対する怒りでもある。とはいえ、それを態度や行動で表したところで意味がない。そんな無力さを露呈するだけの言動や活動には心奪われない。だからそれはただ「憂い」として私の中に存在することになる。私にとっての怒りは平和への強い愛情の裏返し。この世への憂いだ。

世界ぜんたいが幸せにならないうちは
個人の幸福はあり得ない

宮沢賢治の言葉

揶揄される

利己心のなさを表すと、そんな人間のことを揶揄してくる人もいる。そんなお綺麗な心でいられるなら生きてくのに苦労しないと言うし、口に出さずとも大概人は心の中でそう思っている。またあるいは、このような心の仕組みは、恵まれない環境が作りあげたもの、と捉える人もいるかもしれない。トラウマにより後天的に作られた症状または一種の病気のように思うかもしれない。

そういう人は、

激しい怒りを本物の赦しに変換した経験が、人生で一度もないのだろうと思う。怒りを抑え込んだことしかないのだ。

赦し、そして赦しにすら固執しない穏やかな心の状態を子供時代に自分の内面に作りあげたことがないのだろう。だから揶揄することで自分の性格や見方の方が標準だとして心の安定を得る。そんな人は社会人になってから他者との関係において怒りを刺激されてやきもきしている。

一足早く大人になった

皆と感覚が違うことで、他者との間にある見えない大きな壁を感じざるを得なかった。絶望を伴う苦境を乗り越えた人間は他者への態度がいっそう寛容になっていく。自分より他者のためにという感覚は前より強くなり、より自然に起こるようになり、怒りや嫉妬などからはどんどん遠くなっていく。そういうものが小さく見えるからだ。普通の人が考えるご立派な精神とかではまったくない。「しなければ」という意識などとは別世界だ。ただただ、それを望んでいるだけのこと。それが自分らしいからだ。怒りを溜め込んでいるという見方はお門違いだ。

結局、親も親戚も教師もかかりつけの精神科医も民生委員も、誰も暴走するひとりの子供を止められなかった。弟は外でも深刻な暴力事件を度々起こしたのである時期から少年院に入っては出てを繰り返した。入ったときだけ家は平和だったがその分出てくるときのストレスはひどかった。離婚した父親と会ったとき私は長女としての無能さを大声で責められたが、親がいないことはとうに自覚していたのでショックではなかった。私の子供時代は暴力を受けては赦し、受けては赦し、の繰り返し。母と妹。二人はこのあと何十年間も、私を精神的な親として頼って生きることになった。それは十代後半から三十代までずっと私に途轍もない重荷を与えてくれたけど、それをしていけるだけの力を私は有していたので当然の責務として向かい合ってゆけた。小学生のあの頃からずっと大人として生きているから。

──これが、子供時代がとても短かく、ひと足早く大人になった人間の話。怒りは相手に対してではなく悪に向く人間の話。


次の(4)では、大洋感情を持つ人間なら必ず遭遇すると思われる巨大な感情について書きます。実存的うつと直結しています。私の小学四年生頃の話ですが、これがもっとも他者との大きな違いをもたらしており、何十年経っても今起きているとまったく変わらないくらいの重みを持つ、道徳の授業で経験した感情、生涯通して私の生きるテーマとなった感情の話です。

ここまで読んで、私も同じタイプだと思われた(おそらくエンパス力と正義感と創造的本能がかなり強いであろう)方は、重い内容ではありますが次の記事もぜひ確認してみてください。

読んでくださりありがとうございました。

大洋感情を持つ人間(4)─ 善とは何か? が人生のテーマ
不思議なものですね。その当時言語化されていなかった強い感情も、こうして長い旅を経たのちきちんと言葉にできるものなんですね。心にぐっさり突き刺さったものは地下の水…
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